1『十帖源氏』夕顔

 光る君が夕顔の花を見て「一房折て参れ」と所望したのを受けて、随身が門に入ろうとすると、中から袴姿の童女が出て来て、「これに置きて参らせよ」と白い扇を手渡しました。『源氏小鏡』も同じ場面を描いています。
   
2「絵入源氏物語」夕顔

 六条の邸にて。光る君の朝帰りを見送る女房の姿を朝顔にたとえて、「折らで過ぎうき今朝の朝顔」と詠むと、指貫袴の侍童が朝顔の花を折って持ってきました。
1の場面と呼応する場面です。
 
 3朝顔と夕顔のつる草
左は、白く小さな花に比して、大きな青々とした葉を持つ夕顔(ウリ科)。枝を切り取ると花はすぐ萎れるのに、つるは強く容易には切れません。
右は現代の朝顔で、これは品種改良されて大輪ですが、平安時代の朝顔は小さな花だったようです。
1)夕顔と朝顔
 帚木巻で、紀伊守邸に方違えした夜、源氏は、女房達が自分について噂するのを耳にします。
 ・式部卿の姫君に朝顔たてまつりたまひし歌などを、少しほほ歪めて語るも聞こゆ(帚木巻)
「源氏様が式部卿宮様の姫君に朝顔の花をお贈りになった歌は…」などと言って、そのときの歌を、実際に贈ったものと少し間違えて話しているのを、源氏はふすまを隔てて聞いていました。若い源氏の君は、姫君の初々しい朝の顔を見ましたと知らせるため、朝顔の花と歌を贈ったのでしょう。二人はまだ十代でした。このとき源氏が姫君に贈った歌とはどんな歌だったでしょうか。物語の中では紹介されていませんが、当時の読者なら、次のような歌を思い出したことでしょう。
 ・春日野のなかの朝顔おもかげに見えつつ今も忘られなくに   (伊勢集)
 ・おぼつかなたれとかしらん秋霧の絶え間に見ゆる朝顔の花   (古今六帖、六)
前者は、春日野の中の朝顔、あなたの朝の顔が面影に見えて今も忘れられません、という意味で、後者は、秋霧の絶え間に見えた朝のお顔が誰でしょうか、といった意味です。
 朝顔巻は、この噂話から十六年後の物語です。源氏物語の作者は、なぜ朝顔の物語をすぐに作らなかったのでしょうか。なぜ十六年も後の物語にしたのでしょうか。私は次のように考えています。朝顔の物語は、伊勢集の歌や古今六帖の歌がすでに物語的で、朝霧の中で女性の顔をほのかにかいま見た男から恋の歌が贈られる、という陳腐な物語になってしまいます。それなら古歌を想像させる噂話だけに止めておいた方がよいと考えたのではないでしょうか。代わりに作られたのが、朝顔ならぬ夕顔の物語だったのだと思います。朝顔と同様、夕顔もまたはかない花ですが、その境遇が異なります。「花の名は(朝顔同様に)人めきて、かうあやしき垣根になむ咲きはべり」と身分の低い随身に言わせ、「枝も(実と同様)情けなげなんめる花」と粗末な宿の童女に言わせた花でした。これこそ物語の意外性、面白さなのです。高貴な男の当たり前の恋などおもしろみがありません。かなわぬ恋、道ならぬ恋、通常では出会えない恋―これこそ姫君たちが胸を焦がした恋物語なのです。朝顔の姫君が顔を見られただけですんなり恋をしたのではときめきはありません。貴族の邸宅に植えられた朝顔に見立てられる女性と高貴な男との恋も、平凡すぎます。夕顔巻において朝顔に見立てられたのは、源氏の恋の相手ではなく、恋人のお付きの女房・中将の君でした。六条の女君の邸に泊まった朝、源氏は見送りの女房の若々しい姿を朝顔のようだと思って歌を詠みます。(夕顔物語9
 ・咲く花にうつるてふ名はつつめども折らで過ぎうき今朝の朝顔(夕顔巻、源氏)
それに対して女房は、「花」を主人のこととして切り返します。
 ・朝霧の晴れ間も待たぬけしきにて花に心をとめぬとぞ見る(夕顔巻、女房)
このやりとりをしている間に、「侍童」が源氏の歌に応じて、庭の朝顔の花を折り取って源氏に持参します。この場面は、童女が夕顔の花を「これに置きて参らせよ」と扇を差し出した場面と明らかに呼応しています。
 つまり、帚木三帖として並行・連続して語られる帚木(空蝉)と夕顔の物語の中で、「朝顔」は常に脇役でした。はかなく美しく、人の顔に見立てられる高貴な花である朝顔は、名歌の題材でもありましたから、源氏物語の初期の物語においてはことさらに取り上げられることはなかったのです。かたや「夕顔」の方は、瓜の実のなる植物として、花が歌に詠まれる例はほとんどありませんでした(実はまったく例がないわけではありませんが)。このことから、源氏物語の歌は特殊だと断じた論文もありました。しかし特殊どころか、夕顔の歌は古歌の白梅・白菊の歌の表現を見事にアレンジしたものでした(夕顔物語4)。こうして意外性に意外性を重ねて、源氏物語は作られているのです。その作者の技量の高さは並大抵のものではありません。特殊どころか、あまりの教養の高さに現代の研究が追いついていなかっただけなのかもしれません。私たちは少しでも作者の教養に追いつきたいと研究しています。作者を自分達のレベルに落として考えては大切なことを見落とします。私たちが作者の域に追いつくには、謙虚にもっともっと研究・追究しなければならないのです。


関連書籍
  • 『源氏物語の風景と和歌』(和泉書院、1997年、増補版2008年)
  • 『源氏物語の巻名と和歌―物語生成論へ―』(和泉書院、2014年)
  • 『源氏物語の真相』(角川選書、2010年)
  • 『光源氏と夕顔―身分違いの恋―』(新典社新書、2008年)