5春日野の若紫
 このサイトでは、これまで夕顔の物語を取り上げてきました。玉鬘が藤原氏の娘であることから、奈良との結び付きが強く、発端となった夕顔物語が平安京の南東部を舞台にしていたので、「奈良で源氏物語」の表題にふさわしいからです。では、紫の上系の物語は奈良と関わりがないのでしょうか。いえいえ、源氏物語を知る方々はご存じだと思います。巻名「若紫」は源氏物語中に例がなく、その由来は伊勢物語にあるということを。そして伊勢物語の「若紫」こそ「奈良の京、春日の里」を舞台とした物語であったということを。
 巻名「若紫」は、源氏物語の本文としては扱えません。古来の写本・版本いずれにおいても、巻名は本文に含まれず、冊子の題箋に記されるのみです。そのことから一条兼良の注釈書『花鳥余情』では、源氏の独詠歌、
  手につみていつしかも見む紫の根にかよひける野辺の若草(若紫巻)
を挙げて「此歌をもて巻の名とせり」としています。けれども、この歌から「若紫」を導き出すのは困難です。それに対して、伊勢物語の第一段には、若紫巻と似た状況が語られ、その歌に「若紫」ということばがあります。
  春日野の若紫のすり衣しのぶのみだれ限りしられず(一段)
業平を基にした「男」は「初冠」(うゐかうぶり)=元服して、「奈良の京、春日の里に」出かけて「女はらから」(姉妹)を「かいま見」ました。男は、信夫ずりの狩衣を着ていたので、その乱れ模様に託して心の乱れを歌に詠んだのです。
 若紫の物語設定と巻名「若紫」は、明らかに、伊勢物語の第一段を基にしています。このことから、玉上琢彌先生は『源氏物語評釈』において、伊勢物語から着想して作者が巻名「若紫」を名付けた、と想定しました。『花鳥余情』の説明より妥当性があります。そして、若紫巻のかいま見(本文では「のぞき」ですが)の場面において、紫の上の祖母尼君と女房が歌を詠み交わしました。
  生ひたたむありかも知らぬ若草をおくらす露ぞ消えむそらなき
  初草の生ひゆく末も知らぬまにいかでか露の消えむとすらむ
これは、伊勢物語四十九段の贈答歌を基にしたものと考えてよいでしょう。
  うら若みねよげに見ゆる若草を人のむすばむことをしぞ思ふ(四十九段)
  初草のなどめづらしき言の葉ぞうらなくものを思ひけるかな(同返し)
共通して、第三句に「若草を」、第一句に「初草の」があります。さらに伊勢物語の四十一段には、「女はらから」の一人と結婚した高貴な男が、義妹に情けをかける物語もあります。その歌「紫の色こき時は」は、古今集の雑上の部に、「めのおとうとをもて侍りける人にうへのきぬを贈るとて詠みてやりける」という詞書とともに、在原業平の歌として入れられています。これは四十一段の基になった逸話ですが、伊勢物語では、結びに「武蔵野の心なるべし」という説明が加わります。これこそ、源氏物語に深く関わっています。若紫巻において、光源氏は幼い紫の上を思い、次の歌を詠みます。
  手につみていつしかも見む紫の根にかよひける野辺の若草
  ねはみねどあはれとぞ思ふ武蔵野の露わけわぶる草のゆかりを
これらは、次の古今集歌を基にしています。
  紫の一本(ひともと)ゆゑに武蔵野の草は皆がらあはれとぞ見る(古今集、雑上、よみ人知らず)
高貴な染料となる紫草が一本あるだけで、武蔵野の草はすべて大切に思える、という歌で、源氏の「ねは見ねど」は、この歌を踏まえています。「武蔵野の心なるべし」は、この歌と同じ心だという意味なのです。
 ここまでは、今まで言われてきたことです。けれども、伊勢物語と源氏物語とでは大きな違いがあります。伊勢物語第一段では「春日野の若紫」でしたが、若紫巻には「春日野」ということばは一切出て来ません。場所は北山で、「紫」は常に「武蔵野」のものです。光源氏は、業平ゆかりの春日野にも武蔵野にも行かず、京都の北山で紫の上を見たのです。その理由について、拙著『源氏物語の真相』では、「源氏」の物語だからと書きました。そればかりか伊勢物語にも事情があったと考えられます。(1)伊勢物語との相違に続く)


1絵入版本『伊勢物語』(『改正大字伊勢物語』)
最初の挿絵入り版本は、古活字版「嵯峨本 伊勢物語」ですが、それを基にした整版本の挿絵をご紹介します。これは「春日野の」の歌を「おひつきて」贈った場面で、狩衣の裾を切り取って渡す場面です。奈良春日野を象徴する鹿が描かれています。
 
 
昔、男、初冠して、奈良の京、春日の里にしるよしして狩にいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。この男、かいま見てけり。思ほえず、ふる里にいとはしたくてありければ、心地まどひにけり。男の着たりける狩衣の裾を切りて、歌を書きてやる。その男しのぶずりの狩衣を着たりける。
  春日野の若紫のすり衣しのぶのみだれ限りしられず
となむおひつきていひやりける。ついでおもしろきことともや思ひけむ。
  みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに
といふ歌の心ばへなり。昔人は、かくいちはやきみやびをなむしける。 (伊勢物語、一段)
 2「絵入源氏物語」若紫
夕暮のいたう霞みたるにまぎれて、かの小柴垣のもとにたち出で給ふ。人々は帰したまひて、惟光ばかり御供にて、のぞきたまへば、ただこの西面にしも、持仏すゑたてまつりて行ふ尼なりけり。……中に、十ばかりにやあらむと見えて、白き衣(きぬ)、山吹などのなれたる着て、走りきたる女ご、あまた見えつる子どもに似るべうもあらず、いみじくおひさき見えて、美しげなるかたちなり。少しおぼえたる所なれば、子なめりとみたまふ。雀の子を犬君(いぬき)が逃がしつる、伏せ籠の内にこめたりつるものをとて、いとくちをしと思へり(源氏物語、若紫巻)  
昔、男、妹のいとをかしげなりけるを見をりて、
  うら若みねよげに見ゆる若草をひとのむすばむことをしぞ思ふ
ときこえけり。返し、
  初草のなどめづらしき言の葉ぞうらなくものを思ひけるかな(伊勢物語、四十九段)
昔、女はらから二人ありけり。一人はいやしき男の貧しき、一人はあてなる男もたりけり。いやしき男もたる、十二月のつごもりに、うへのきぬを洗ひて、手づから張りけり。心ざしはいたしけれど、さるいやしきわざも習はざりければ、うへのきぬの肩を張り破(や)りてけり。せむ方もなくて、ただ泣きに泣きけり。これをかのあてなる男聞きて、いと心ぐるしかりければ、いと清らなる緑衫(らうさう)のうへのきぬを見出でてやるとて、
  紫の色こき時はめもはるに野なる草木ぞわかれざりける。
武蔵野の心なるべし。(伊勢物語、四十一段)