1)谷沢永一と拙著その1
谷沢永一氏については、私が下手な説明をするまでもないでしょう。『紙つぶて』などの著書において、長年、紀要の内容、教授や助教授の不勉強を批判したことはよく知られています。2011年に亡くなった谷沢氏が晩年、このサイトで紹介している拙著2冊を取り上げてくださいました。以下、1冊ずつ、その出会いについて書きます。
2005年頃、他学部の同僚教授から「谷沢永一さんが清水先生のことを書いてましたよ」と声をかけられました。谷沢氏と面識もないので不思議に思っていると、その教授が掲載誌「歴史街道」のコピーを渡してくれました。以下に引用します。

『源氏物語』を読みやすくした功績
 『源氏物語』を近世の一般人はどのような本文の書物で読んだのか。現今の古典注釈書で重用されている古写本は、手の届かない高閣に秘蔵されていた。読み伝えられたのは、北野天満宮の社僧能貨の著であるらしい『首書源氏物語』(寛文十三年)や北村季吟の『湖月抄』(延宝元年、現行の増注版は講談社学術文庫、上中下三冊)、などの流布本、なかんずく本居宣長も『源氏』研究『玉の小櫛』に用いた後者である。この史上特筆されるべき『湖月抄』が拠りどころとしたのは何か。それは山本春正の『絵人源氏』大本(美濃判紙二つ折りとそれ以上の大きさ)六十冊(慶安三年)である。物語本文五十四冊に別冊とした『源氏目案』三冊『源氏系図』『源氏引歌』『山路の露』を加え、揃いで出版された。
 この労作より以前に刊行された『源氏物語』に、挿絵がないのはもちろん、傍注、振り仮名、濁点、読点など、理解を助ける手入れは絶無であった。それより先に描かれたと思われる『源氏物語絵詞』を参照したかと見られるものの、『絵人源氏』の二二六に及ぶ図柄の大半は、山本春正が『源氏』の本文を熟読し、そのうえですべてに読点と濁点を加え、意味がよく解るように漢字を宛て、その漢字に振り仮名を付け、本文の表記それ自体が物語の解釈を示唆するよう、行文に明記されていない主語や語り言葉を指示するなど、独自に考えた末の措置である。
 『絵入源氏』が史上はじめて挿絵を描くに際して目指したのは、大和絵風の『絵詞』が絵になる場面を狙うのに倣ったのではなく、世に源氏絵と称される伝統の継承でもなく、あくまで『源氏物語』伝来の文章そのものに執し、歌や詞から優れた情景を独自に選び、表現の流れに即しての描写読解であった。それゆえ挿絵を楽しみながら見てゆく読者は、それぞれの画面に描かれた景物や人物の様子によって理解を深め、『源氏物語』の表現に改めて素晴らしさを感じとったであろう。
 江戸時代の読者が鑑賞した流布本は、伝えられた古写本のどれかをそのまま整版した素気ない原文ではなく、当時の平均的な解釈能力に添って読みやすいよう注釈によってほぐされた柔軟な構成であった。特に『絵入源氏』は物語を学問的な見地から校合検討して成った本文であり、物語を読みこむために頼るべき定本(テキスト)として両期的な出現であった。出版が事業としてはまだ成りたたぬ時代、部数を限定した献本用の豪華な私家版であるとはいえ、古典を貴族の独占から広く読書界を領導する指標へと大きく転換させた発想と努力は文化史上の事件である。以後は『絵人源氏』の改版や縮約本が続々と変化しながら刊行されてゆく。
 このように『絵人源氏』の史上に果たした決定的な存在理由(レゾンデートル)を、厳密に徹して書誌学の方法を深めながら考証を重ね、ひいては近世文芸史における初発の系統を浮き彫りにし、学芸史の視座を社会構成の見取り図のなかに据え、日本国民の高度な教養水準を確実に照らしだしたのは、清水婦久子(『源氏物語版本の研究』平成十五年・和泉書院)の見事に鮮やかな功績である。
 国文学の研究が『湖月抄』等の刊行を契機として飛躍したのは周知であるが、その記念すべき先縦をなしたのが今まで著者不詳とされてきた『源氏引歌』および『古今類句』もまた山本春正の著作であると、これまた清水婦久子が内部徴証に基づいて考証した。『古今類句』が勅撰集に採られた歌を網羅しているのも大いなる貢献であるけれども、『万葉集』や『和漢朗詠集』などを含まないのは時代の限界を示すであろう。
 一方『源氏引歌』には、勅撰集の歌それぞれの部立てと作者名が特に詳しく記されているという。個々の引歌については採択において適当か否かの検討も必要であるし、古来のさまざまな注釈との繋りを見分けるなど今後に残された問題は多いにしても、『源氏引歌』は『絵人源氏』を膨らませ補うよう組み合わせて構想した企画は斬新である。この苦心の籠る書物を『源氏物語大成』における解説が「便利」と一言で片づけているのに抗して、清水婦久子は、単に引歌だけを集めた機械的な作業にとどまらず、実際には本文と見くらべ照らしあわせてゆけるように組み立てられている構成に注目し、和歌にはじめて出典が明記されて研究史に画期をもたらしたと評価している。
 さまざまな辞典や事典の項日を請け負って執筆するのは利権の確保にすぎず、自分で調べた蓄積もないのに堂々と自分の名義で打って出るのは今や業界の常習である。『日本古典文学大辞典』(昭和六十年)で「山本春正」の項を執筆した上野洋二は、三十行を費して春正の経歴を記しているけれども、すべて小高敏郎の『近世初期文壇の研究』(昭和三十九年)をはじめとする先学の研究をなぞったにすぎず、『絵人源氏』には一字一行も触れていない。一般の学界とはそういうものである。
 それはさておき、『絵人源氏』の版元が次々と移転して時代を経た後の異版では、山本春正の名が消されてゆき、室町時代の著名な学者であった一条兼良の学統を継いで、貴族の学問を祖述する書物であるかのごとく偽装されてゆく。山本春正ははじめ松永貞徳に師事したのであるが、貞門を去って木下長嘯子に就いたという風に見られたのが崇って、貞門の伝承を守ると自認する連中から攻撃されたという厄介な問題も伏在する。それよりも権威主義の我が国では在野の貞徳よりも身分の高い一条兼良の名義を借りた方が都合よかったであろう。殿上人ではない地下の学者による注釈書を頭注に多く採った『首書源氏』よりも、貴族による注釈書のみを引用した『湖月抄』の方が広く世に受け入れられた。

(『日本史の裏事情に精通する本』108~112P・初出『歴史街道』「日本史ヤミ鍋」)
文章が複雑ですが、「絵入源氏」や『湖月抄』『首書源氏物語』に関する部分はすべて拙論によっています。「日本国民の高度な教養水準を確実に照らしだした」「見事に鮮やかな功績」とは大仰ながら、版本を何種類も実際に調査した成果を高く評価してくださったのでしょう。同時に、芭蕉自筆本を紹介した近世文学者の上野洋三氏への批判を兼ねています。上野氏は九州大学教授でしたが、その前は私の母校大阪女子大学の教授でした。谷沢氏はご存じありませんが、実は、私が近世書誌学にのめり込んだきっかけは上野氏の一言でした。『首書源氏』の編者「一竿斎」が松永貞徳に関わりがあるとする仮説を影印叢書『首書源氏物語』の解説に書いて送ると、上野氏は「近世の歌書は難しいですよ」という葉書をくださいました。この一言が私の版本書誌学への情熱となったのです。上野氏は奥の細道の芭蕉自筆本を紹介して話題になり、その批判や論争が活発でしたので、ご存じの方も多いと思います。谷沢氏の上野批判もその延長線上にあるのでしょうが、それとは関わりなく、私は、母校や京大の貴重書庫にあるさまざまな版本を端から手にとって刊記や版式を確かめ、出版目録などと突き合わせる作業をし、後に「絵入源氏」や『湖月抄』を入手して他の版本との比較や本文校合をしました。その成果が『絵入源氏』三冊や『源氏物語版本の研究』です。北村季吟と本居宣長を源氏物語研究の権威として祭り上げたのは近代の研究者です。谷沢氏はそうした学界の権威主義を批判し続けた人であり、拙著はその格好の題材だったのでしょう。拙著を私費で購入して褒めてくださったことに感謝しながらも、御礼申し上げる機会もなく過ごしましたが、「源氏物語千年紀」をきっかけとして、手紙のやりとりができました。(その2に続く)
参考図書
 ・谷沢永一『紙つぶて』(1978年、文藝春秋)ほか
 ・谷沢永一『日本史の裏事情に精通する本』(2009年、PHP研究所)
 ・谷沢永一解説、風巻景次郎・清水好子『
時代が見える人物が解る源氏物語』(2008年、ビジネス社)
 ・清水婦久子『源氏物語版本の研究』(2003年、和泉書院)
 ・上野洋三・桜井武次郎編『芭蕉自筆奥の細道』(1997年、岩波書店)
 ・清水婦久子編『首書源氏物語 絵合松風』(1990年、和泉書院影印叢書)
 ・清水婦久子編『絵入源氏』桐壺・夕顔・若紫(1995~2003年、おうふう)
 ・小高敏郎『近世初期文壇の研究』(1964年、明治書院)
 ・小高敏郎『松永貞徳の研究』正続(1953年・1956年、至文堂)
「『源氏物語』を読みやすくした功績」の初出は「歴史街道」連載「日本史ヤミ鍋」です。著書『日本史の裏事情を知る本』には本文のみが掲載されましたが、初出誌では、挿絵として、天国(極楽)の紫式部が「絵入源氏」を読んでいるイラストがありました。その「絵入源氏」は、山本春正による版本「絵入源氏物語」の原本(上図)ではなく、私の作った活字本『絵入源氏』(下図)であったのが面白く思いました。 
 
1『日本史の裏事情に精通する本』
 この書の中で、源氏物語に関する記事は、右の文の他に、「道長は紫式部を訪れたか」と、「紫式部の生きた時代の条件」の2つだけです。拙著は、源氏物語の近世書誌学研究書というところに注目されたのでしょう。
上記の「道長は紫式部を訪れたか」では、堀部正二氏の「中古日本文学の研究」(昭和18年)を取り上げています。「紫式部の生きた時代の条件」は、風巻景次郎の『国語と文学の教室』(昭和27年)所収の文を取り上げています。これはその2で紹介する『時代が見える人物が解る源氏物語』に収められています。いずれも偉大な研究者ですから、拙著が同じ書物に紹介されていることはとても名誉なことです。 
2『源氏物語版本の研究』
刊行部数の少ない研究書ゆえ税抜き1万3千円という高額です。10万冊を超える蔵書家で書誌学の専門家とは言え、これを買って丁寧にお読みくださり、雑誌に取り上げてくださったことに感謝しています。
 3影印叢書『首書源氏物語 絵合松風』
解説に、『首書源氏物語』の編者「一竿斎」の素姓を、松永貞徳に関わる人物であるとの仮説を示し、上野氏などに送りました。2の拙著では貞徳ではなく、北野の能円と能貨の親子と論証しました。谷沢氏の説明はその説によっています。
 〈補足〉
 右の文のうち『源氏物語絵詞』の説明が誤解を招くので補足します。この書は清水好子氏が紹介した16世紀書写とされる絵指示書です。谷沢氏は「それより先に描かれた」「大和絵風の」としていますが、『絵詞』は絵巻の類ではなく、絵になる場面を物語から引用し図様を記したテキストで、絵を伴っていません。従って「絵入源氏」の挿絵と直接比較できるわけではなく、図様や場面の選択が『絵詞』と異なっているという意味です。上野氏の一言を肝に銘じて、大阪女子大と、1996年に研修員として受け入れて下さった京大において、多数の版本を手にとって確認しました。版本が今ほど貴重なものとされていなかった時代ゆえ自由に調査できたのです。この経験が「源氏物語千年紀展」や「読む見る遊ぶ源氏物語の世界展」の企画と展示品の選定に繋がりました。