1)塩釜の浦と河原院
 古今集に、紀貫之の哀傷歌があります。
   君まさで煙絶えにし塩釜のうらさびしくも見えわたるかな
河原左大臣・源融亡き後、河原の院に塩釜の景勝を作ってあるのを見て詠んだ歌です。伊勢物語にも、源融が「賀茂河のほとりに、六条わたりに、家をいとおもしろく造りて住みたまひけり」と語られ、「かたゐ翁」とされる主人公が、次の歌を詠みました。
   塩釜にいつか来にけむ朝なぎに釣する舟はここによらなん
翁は、「陸奥国にいきたりけるに、あやしくおもしろき所々おほかりけり。わがみかど六十余国の中に塩釜といふ所に似たる所なかりけり」と言い、塩釜を模した河原院を「めでて」「塩釜にいつかきにけむとよめりける」と、伊勢物語は結んでいます。
 貫之の時代にはその風雅な河原院がありましたが、後に荒廃し、かつての面影はなくなりました。安法や恵慶などの法師が、河原院で「荒れた宿」を題材とした歌を数多く残しています。紫式部集にも「世のはかなきことを嘆くころ、陸奥に名ある所々かいたる絵を見て、塩釜」の詞書で次の哀傷歌があります。
  見し人の煙となりしゆふべより名もむつましき塩釜の浦
なぜ哀傷歌に塩釜なのか、なぜ河原院は塩釜を模したのか――これがシュミッツさんの疑問でした。また、「かたゐ翁」つまり昔の人は、なぜ塩釜に行ったというのでしょうか。単に風光明媚だから、ということだけでなかったと思います。
 塩釜は、貞観11年(869)の大津波で壊滅状態になったと『日本三代実録』に記されています。その前後も富士山が噴火し、京の都を含む全国で大地震が長く続いたと伝わります。東日本大震災の復興も進みませんが、9世紀には甚大な被害が続発したといいます。ちょうど伊勢物語の主人公とされる在原業平の生きていた時代です。業平が実際に行ったかどうかはともかく、「かたゐ翁」が見たという塩釜が荒廃したのを聞き、源融は河原院にかつての豊かな塩釜の浦を再現しようとしたのではないでしょうか。ただ海岸を再現するだけなら、他の海岸(須磨や明石)でも良かったでしょう。
 貫之は、河原院の主人・源融が亡くなったことを「君まさで」と言い、さらに、河原院が模した塩釜の浦がさびしくなったことにも思いを馳せて、どちらも荒廃してしまったことを「うらさびし」と詠んだのだと思います。融のいないことを悲しむだけでなく、融が再現した塩釜の人々の鎮魂も合わせて詠んだのが、この歌だったのではないかと思います。その後、河原院も、賀茂川の氾濫によって塩釜の浦と同じく水害で荒廃しました。河原院は、源融の邸宅から、後に宇多上皇の御所となり、ついには荒廃してしまった栄枯盛衰の象徴であると同時に、風光明媚な塩釜の浦の海辺や人々の鎮魂の象徴でもあったのでしょう。平安時代の人々にとって、塩釜は現実の名所であった以上に、河原院を通じて人々の心に残る歌枕として生き続けたのです。
 紫式部が「世のはかなきことを嘆くころ」に塩釜の絵を見て哀傷歌を詠んだのは、塩釜で多くの人々が亡くなったこと、その塩釜を再現しようとした融も亡くなり、河原院までも荒廃したことなどが背景にあったと考えられます。河原院文化圏の歌にもそうした側面があったのでしょう。源氏物語に塩釜の浦は出てきませんが、六条院によって河原院を再現しました。その六条院が賀茂川の傍にあると書かれていないのは、水害の印象を避けたのでしょうが、洪水を防ぎ、渇水に備えるため、大きな池を作ります。池水は、融の邸宅(河原院・宇治院・静霞観)において川とつながっていましたから、胡蝶巻で語られる六条院の豊かな池にも賀茂川から水を引いていたと想定されます。

参考図書
   ・『源氏物語の巻名と和歌―物語生成論へ―』(和泉書院、2014年
1塩竈神社
2013年10月、東北大学で開催された中古文学会秋季大会の当日に撮影。宮司さんいわく「ここは高いので昔から波が上がって来たことはありません」。
(上)境内から海を望む
 
 
  〈補足〉
 現在の平等院は、もとは源融の別荘でした。藤原道長は、その別荘を苦労して入手し宇治の別荘にしていましたが、病に苦しんで亡くなった道長の供養のために、息子の関白頼通が平等院という御寺に造りかえたのです。平等院の鳳凰堂は、今年の春、修理を終えて蘇りました。奈良にも近いので、ぜひお越し下さい。ただし、床のために人数制限をしていますから、春には3時間待ちと聞きました。その待ち時間に、鳳凰堂の前の阿字池をご覧下さい。その池には、宇治川からポンプで水を引いているのですが、かつては水車で引いていたそうです。有名な「宇治の水車」は、貴族の邸宅に水を引くためであり、その工作を得意としていたのが宇治の里人だったと『徒然草』に書かれています。このお話、阪神大震災の前の年に出演した『クイズ歴史紀行 源氏物語の面影』で、宇治の名物は何かというクイズの解説でお話ししたのですが、残念ながら徒然草のところがカットされ、放映では「ですから、宇治の水車は昔から有名なんです」と唐突なせりふになっていました。私はちゃんと説明したんですがねえ……。それ以来、テレビ(特にNHK)では簡潔に話すことを心がけています。