夕顔物語9
秋にもなりぬ、人やりならず心づくしにおもほしみだるることどもありて、大殿にはたえま置きつつ、うらめしくのみ思ひきこえたまへり、六条わたりにも、とけがたかりし御気色を、おもむけきこえ給て後、ひきかへしなのめならんはいとほしかし。されどよそなりし御心まどひのやうに、あながちなることはなきも、いかなることにかと見えたり、女はいと物をあまりなるまでおぼししめたる御心ざまにて、よはひの程もにげなく、人のもりきかんに、いとどかくつらき御夜がれの、寝ざめ寝ざめおぼししほるること、いとさまざまなり。
霧のいとふかきあした、いたくそそのかされ給ひて、ねふたげなる気色に、うちなげきつつ出で給ふを、中將のおもと、みかうし一間あげて、見たてまつりをくり給へとおぼしく、御几帳ひきやりたれば、御ぐしもたげてみ出し給へり、前栽の色々みだれたるを、過ぎがてにやすらひ給へるさま、げにたぐひなし。廊のかたへおはするに、中将の君御ともにまいる、紫苑色の、おりにあひたる、うす物のも、あざやかにひきゆひたるこしつき、さはやかになまめきたり、みかへり給て、すみのまのかうらんに、しばしひきすへ給へり、うちとけたらぬもてなし、かみのさがりば、めざましくもと見給ふ。
  さく花にうつるてふ名はつつめどもおらで過ぎうきけさの朝がほ、
いかがすべきとて、手をとらへ給へれば、いとなれてとく
  朝霧のはれまもまたぬけしきにてはなに心をとめぬとぞみる
と、おほやけごとにぞきこえなす。をかしげなるさぶらひ童の姿このましう、ことさらめきたる指貫
(さしぬき)のすそ、露けげに、花のなかにまじりて、朝顔折りて参るほどなど、絵にかかまほしげなり。
六条邸で朝顔の贈答歌
[口語訳]
 秋になった。誰のせいでもなく自ら心を尽くして悩むことがあって、左大臣邸には途絶えがちなのでうらめしく思っていらっしゃる。六条あたりのお方にも、頑なな態度を向けさせた後、うってかわっていい加減な扱いではおかわいそうだ。しかし、他人でいた時の熱心さのように無理を通すこともないのは、どうしたことかと思われる。女はあまりにも深く思い詰める性格で、年齢も不釣り合いで、人に知れたらと、ますますこうしてつらい訪れのない夜が続くと、寝ざめを繰り返し落ち込むことがいろいろある。霧の深い朝、せきたてられて眠たそうな様子でぼやきながらお出になるのを、中将のおもとが格子を一間上げてお見送りをと御几帳を引き上げると(女君は)頭を上げてご覧になる。前栽がいろいろ咲き乱れるのを見過ごせずたたずみなさるご様子はまったく類がない。廊の方へいらっしゃるとき中将がお供するが、紫苑色の季節にふさわしい薄物の裳をすっきりとかけたその腰つきはこざっぱりとして若々しい。(源氏は)振り返って、隅の間の高欄のもとにすわらせ、毅然とした態度や髪の掛かり具合を悪くないとご覧になる。
  咲く花に移るなどという言葉は慎むべきだが、折り取らずに通り過ぎることのできない今朝の朝顔だな――
前栽の朝顔の花もあなたの朝の顔も美しいので私はこのまま立ち去ることはできません
どうすればよいのか、と、手を捕らえると、(中将は)慣れた様子ですぐに、
  朝霧の晴れるのもお待ちにならないご様子ですから、とても花に心をお留めになるとは思えません。
と、公のこととして答える。きれいで感じのいい姿をした侍童がわざわざ指貫の裾をぬらして朝顔を折り取って献上する様子は絵に描きたいほどである。
[鑑賞]
 秋、源氏は一人思い悩むことがあって妻のいる左大臣邸や六条にも途絶えがちだ。ここで源氏と六条の女君との関係や双方の気持ちが初めて明らかにされる。
 ある霧の深い朝、源氏が女君の寝室を出る。こういう場面を後朝(きぬぎぬ)の別れと言う。「後朝」は、恋人が共に夜を過ごした後の朝のことで、「きぬぎぬ」とは共寝していた男女がそれぞれの衣を着て別れること。「しののめのほがらほがらに明けゆけばおのがきぬぎぬなるぞ悲しき」(古今集、恋三、よみ人知らず)による。本来は「衣々」だが意味から「後朝」と書く。
 従来この場面は、六条女君の愛執に対する源氏の浮気心ということで説明されて来た。この女君を六条御息所と見て、後の葵巻の物の怪と結びつけるなら妥当な読み方である。しかし、夕顔の物語の中に、この女君と女房の話がなぜ語られているのか、という側面から見ると、源氏の浮気心として読むだけでは不十分。
 この「朝顔」は、「夕顔」との対比を意識したもの。朝と夕の対比のみならず、貴族の屋敷に咲く観賞用の朝顔と、源氏が名も知らない野菜の夕顔との対比であり、そのまま二人の女君の格差を示している。しかも朝顔に喩えられたのは、女君ではなくその家に仕える女房である。中将の返歌は、霧の間に見え隠れする人の顔を「朝顔」に喩えた有名な歌「おぼつかなたれとかしらん秋霧の絶え間にみゆる朝顔の花」(古今六帖、第六)を基にして、早々に帰る源氏は朝顔の花に関心がないと言う。
源氏の歌は、若い中将の美しさを称えると同時に、前栽の花を折り取ることを望む歌である。侍童が「朝顔折りて参る」のは、夕顔の時と同じく、源氏の所望に答えたものである。
 夕顔の場面では、「単衣袴(ひとえばかま)」の「童」が扇を差し出して「これに置きて参らせよ」と言った。この朝顔の場面でも、やはり袴である「指貫(さしぬき)」の「侍童」が花を折る。二人の童はどちらも「をかしげなる」と形容される。『十帖源氏』1の挿絵と「絵入源氏」3の挿絵を見比べるとわかりやすいが、二つの場面ははっきり対比されている。「侍童」については、『源氏目案』に童女と少年の二説を挙げている。

[挿絵3]
 霧の朝、源氏は六条の御方に後朝の別れをして、女房の中将の君に送られ廊へ出る。中将の「紫苑色のをりにあひたる」衣裳や「うちとけたらぬもてなし」に惹かれた源氏は、「隅の間の高欄に」座らせ、中將の姿と庭に咲く朝顔の花の美しさに重ねて「咲く花に……」と詠む。この誘いは中將の君の機転のきいた歌でかわされたが、源氏の歌を受けて、前栽では「をかしげなる侍童」が「花のなかにまじりて」朝顔を折る。「絵にかかまほしげ」という通り、多くの源氏絵がこの場面を描く。この挿絵では「侍童」を童女として描くが、袴姿の男の童を描く絵もある。『源氏目案』でも花鳥余情の童女説と弄花抄などの童子(男)説の両方を挙げるが、挿絵は花鳥余情説による。『十帖源氏』では、文章・挿絵ともに前栽の朝顔も侍童も省き、男女二人だけを描くことで、源氏の色好みが強調されている。
(次へ)