夕顔物語3
惟光
(これみつ)が兄の阿闍梨(あざり)、むこの三河の守(かみ)、娘などわたり集ひたる程にて、かくおはしましたる喜びを、またなきことにかしこまる。尼君も起きあがりて、をしげなき身なれども、捨てがたく思ひたまへつることは、ただかくお前にさぶらひ御らんぜらるることの、変はり侍りなんことを、くちをしう思ひたまへたゆたひしかど、いむことのしるしに、よみがへりてなん、かくわたりおはしますを見給ひ侍りぬれば、今なん阿弥陀仏の御光も、心ぎよく待たれ侍るべきなどきこえて、弱げに泣く。日ごろおこたりがたくものせらるるを、安からずなげきわたりつるに、かく世を離るるさまにものし給へば、いとあはれにくちをしうなん。命長くてなほ位高くなども見なし給へ。さてこそ九(ここ)の品(しな)の上(かみ)にもさはりなく生まれ給はめ、この世に少しうらみ残るは、わろきわざとなんきくなど、涙ぐみての給。かたほなるをだに乳母(めのと)やうの思ふべき人は、あさましうまほに見なすものを、ましていとおもだたしう、なづさひつかうまつりけん身もいたはしう、かたじけなくおもほゆべかめれば、すずろに涙がちなり。子どもはいと見苦しと思ひて、そむきぬる世のさりがたきやうに、みづからひそみ御らんぜられ給ふと、つきじろひ目ぐはす。きみはいとあはれとおぼして、いはけなかりけるほどに、思ふべき人々のうち捨ててものし給ひにけるなごり、はぐくむ人あまたあるやうなりしかど、親しく思ひむつぶるすぢは、またなくなんおもほえし。人となりて後は、限りあれば、朝夕にしもえみ奉らず、心のままにとぶらひまうづることはなけれど、なほ久しう対面せぬ時は、心細くおぼゆるを、\さらぬ別れはなくもがなとなんなど、こまやかに語らひ給て、をしのごひ給へる御袖のにほひも、いと所せきまでかほりみちたるに、げに思へばをしなべたらぬ人のみすくせぞかしと、尼君をもどかしとみつる子どもも、みなうちしほたれけり。
※本文中の「\」は、別冊『源氏引歌』に掲載された歌と一致する。右欄の「引歌」は、『源氏引歌』から引用した。
乳母の見舞い
[口語訳]

惟光の兄の阿闍梨、娘婿の三河の守、そして娘などが集まって来ていた時なので、(源氏の君が)こうしておいでになったことを喜び、この上ないことと恐縮する。尼君も起きあがって、「惜しくはない我が身ですが、それでも捨てきれない思いは、ただあなた様のおそばにいてお姿を拝見できなくなってしまうことが、残念で死にきれずにおりましたが、尼になった御利益で生き返り、こうしていらっしゃったのを拝見できましたので、今では阿弥陀仏のお迎えも、潔く待つことができます。」などと申し上げて、弱々しく泣く。(源氏は)「日頃ご病気の具合がお悪いのが心配で嘆いておりましたが、このように世を捨てたお姿なのが悲しく残念です。長生きなさって、さらに私が出世するのを見届けて下さい。それでこそ、九つある品の最上位にも難なく生まれ変わることができるのに、この世に少しでも執着があるのは良くないと聞きますよ。」などと、涙ぐんでおっしゃる。つまらない子であっても、乳母のような人は、その子をむやみにすばらしいと見なすものだが、(尼君は)まして名誉なこととして、この君に親しくお仕えできた我が身までがもったいないように思われ、しきりに涙を流す。子どもは、大層見苦しいと思って、(母尼君が)捨てたはずの世を去りがたいように泣き顔をご覧に入れて、と互いに肘をつつき目くばせする。君は大層悲しく思って、「幼い頃、愛する人達が亡くなった名残で、かわいがってくれる人は多かったようですが、慣れ親しんだという点では、あなた以上の人はいませんでした。成人した後は、朝晩お会いすることもできず、思うままにご挨拶することはなかったけれど、やはり長くお会いできない時は心細く思うので、避けられぬ別れがないとよいのにと思います」などと、心細やかにお話しなさり、涙をぬぐう御袖の匂いも、あたりいっぱいに香りが満ちたので、確かに、並々ならぬ運命の持ち主だったのだと、尼君を批判的に見ていた子たちも、みな涙を誘われた。
[引歌]
○世中にさらぬわかれのなくもがな千世もといのる人の子のため(古今集、雑上、業平)
(訳)この世に避けられない別れ(死別)がないといいのに、千世の命を願う人の子のために
[鑑賞]
 源氏には乳母が二、三人いたはずで、この乳母の他に「左衛門の乳母」がいる。「乳母」だけでは誰かわからないので、夫の官職名をつけて呼ぶ。「大弐の乳母」は、夫が太宰府の長官「太宰大弐」だったと思われる。母親を三歳で亡くした源氏にとって、乳母は母親代わり。源氏の成長を楽しみにしてきた乳母は、源氏の見舞いに心残りがなくなったと言う。これに対して源氏は、この先も見ていてくださいと慰める。
 「九品」は、生前の行いによって浄土で上品上生(じょうぼんじょうしょう)~中品中生~下品下生(げぼんげしょう)の九段階に別れるという九品(くほん)信仰のことで、「九品のかみ」は最上位の上品上生を指す。
 
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