夕顔物語2
\をちかた人にもの申すとひとりごちたまふを、御随身ついゐて、かの白くさけるをなん夕顔と申し侍る、花の名はひとめきて、かうあやしき垣根になんさき侍りけると申す。げにいと小家がちに、むつかしげなるわたりの、このもかのもあやしううちよろぼひて、むねむねしからぬ軒のつまごとにはひまつはれるを、くちをしの花のちぎりや、ひとふさおりてまいれとの給へば、この押し上げたる門(かど)に入て折る。さすがにされたるやり戸口に、生(き)なるすずしの単袴(ひとえばかま)、長く着なしたる童(わらは)の、をかしげなる出できて、うちまねく。白き扇のいたうこがしたるを、これに置きてまいらせよ、枝もなさけなげなめる花をとて取らせたれば、門(かど)あけて、惟光(これみつ)の朝臣(あそん)のいできたるしてたてまつらす。かぎを置きまどはし侍りて、いと不便(ふびん)なるわざなりや、もののあやめ見給へわくべき人も侍らぬわたりなれど、らうがはしき大路(おほぢ)にたちおはしましてと、かしこまり申す。引き入れており給ふ。
   
 『十帖源氏』夕顔巻 『源氏小鏡』夕顔巻 
「絵入源氏物語」は、源氏が花に目を止めたところ、あとで扇を見るところを描くが、多くの源氏絵は、『十帖源氏』『源氏小鏡』と同様、随身が扇を受け取るところを描く。
花の名を問う
[口語訳]
「遠方人(おちかたびと)にもの申す」(そちらの人にお尋ねする)とつぶやくと、随身がひざまづいて「あの白く咲いているのは夕顔と申します。花の名は人らしいのに、こんな変な垣根に咲く花なのです」と申し上げる。確かに、とても小さな家ばかりのむさ苦しい所で、あちらこちらみすぼらしくぼろぼろで倒れそうな軒先に蔓草が這いまつわっているのを、「残念な花の運命だな、一房折って持って来い」とおっしゃるので、この押し上げた門に入って随身が折る。それなりにしゃれた遣戸口に生成の生絹の単衣袴を長く着こなした可愛いい少女が出て来て手招きする。しっかりたきしめた白い扇を差し出して「これに置いて差し上げて、枝も風情がない花なので」と言って取らせたので、ちょうど門を開けて出て来た惟光から献上してもらう。(惟光は)「鍵をどこに置いたかわからず、大層ご不便をおかけしました。わけのわかる者もいない所なのに、ごみごみした大通りでお待ちいただきまして」と恐縮して申し上げる。車を門から引き入れて、お降りになる。

[引歌]
○うちわたすをちかた人にもの申すわれそのそこに白く咲けるは何の花ぞも(古今集、旋頭歌、よみ人しらず)
(訳)はるか遠い所にいる人にお聞きします、そのそこに白く咲いているのは何の花ですか

[鑑賞]
 源氏の独り言「遠方人にもの申す」を聞いただけで、随身は古今集の旋頭歌の一句と察知し、その下の句「そのそこに白くさけるは何の花そも」を用いて「かの白くさけるは夕顔と申し侍る」と答える。見事な応答だ。ただし、花のそばの「遠方人」に「そのそこに白く」と問うたのに対して、源氏の側にいる随身が「かの白く」と答えたのは不十分。
 夕顔は干瓢の材料となる実のなるウリ科の野菜で、枕草子にも「夕顔は、花のかたちも朝顔に似て、いひ続けたるに、いとをかしかりぬべき花の姿に、実の有様こそいとくちをしけれ」と記される。夕顔は、粗末な宿に住む女の呼称にふさわしい花と言える。
 諸注は、随身が住人に無断で門に入ったと解釈し「花盗人」などとするが、随身は「ご主人が花を所望しておられるからいただきますよ」と声をかけたと考えるべき。宿の中から童が出て来て「これに置きてまいらせよ」と言ったのも、その挨拶に応じたものである。
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