夕顔物語12
かりにてもやどれるすまゐの程を思ふに、これこそかの人のさだめあなづりし、しものしなならめ、その中(なか)に、思ひの外(ほか)におかしきこともあらばなど、おもほす成けり。惟光(これみつ)いさゝかのことも、御(み)こゝろにたがはしと思ふに、をのれもくまなきすき心にて、いみじくたばかりまどひありきつゝ、しのびておはしまさせそめてげり。この程(ほど)のこと、くだ/\しければ、例(れい)のもらしつ。女をさしてその人とたづねいで給はねば、われも名(な)のりをしたまはで、いとわりなうやつれ給ひつゝ、れいならずおりたちありき給は、をろかにおぼさぬ成べしとみれば、わがむまをばたてまつりて、御ともにはしりありく。けさう人の、いと物げなきあしもとを、みつけられて侍らん時、からくもあるべきかなとわぶれど、人にしらせ給はぬまゝに、かの夕がほのしるべせし随身(ずいじん)ばかり、さてはかほむげにしるまじき、わらはひとりばかりぞゐておはしける。もし思ひよるけしきもやとて、となりに中やどりをだにし給はず。女もいとあやしく心えぬ心ちのみして、御つかひに人をそへ、あか月のみちをうかゞはせ、御ありかみせんとたづぬれど、そこはかとなくまどはしつゝ、さすがに哀(あはれ)にみではえあるまじく、この人の御心にかゝりたれば、びんなくかる/\(゛)しきことゝもおもほしかへしわびつゝ、いとしば/\おはします。 かゝるすぢはまめびとのみだるゝおりもあるを、いとめやすくしづめ給て、人のとがめきこゆべきふるまひはし給はざりつるを、あやしきまでけさの程ひるまのへだてもおぼつかなくなど、思わづらはれたまへば、かつはいと物ぐるおしく、さまで心とむべきことのさまにもあらずと、いみじく思ひさまし給ふ。人のけはひいとあさましく、やはらかにおほどきて、ものふかく、をもきかたはをくれて、ひたふるにわかびたるものから、世をまだしらぬにもあらず、いとやんごとなきにはあるまじ、いづくにいとかくしもとまる心ぞと、返々おぼす。
源氏、身分を隠して女のもとに通う
[口語訳]
仮にでも宿る住まいの粗末な程度を思えば、これこそ雨夜の品定めでさげすんでいた下の品なのだろうが、その中に予想外に良いこともあったならばなどと、お思いになるのだった。惟光は些細なことでも主人の御心に違うまいと思う上に、自分でも抜け目ない好き心で、たいそう策を弄して奔走して、密かにお通い始めになるようにした。その間のことは煩わしいので、例によって省略した。女をその人と素性を明らかにできないので、ご自身もお名のりにならず、むやみに粗末ななりをして、常と違って歩いてお通いになるのは、ご執心なのだろうと見て、自分の馬を献上して、伴走する。懸想人のみっともない様を見られました時はつらいことだな、と嘆くが、人には知らせないまま、例の夕顔の花の取り次ぎをした随身と、顔を知られていない童一人だけを連れていらっしゃったのだ。もし思い当たる様子があればと、隣でご休憩すらなさらない。女も怪しんで納得できない気持ちばかりで、使いの者につけさせ、明け方の道を探らせ、住まいを発見しようと探索させるが、わからないように惑わせつつ、それでも情があり逢わないではいられず、この人のことが御心にかかっているので、不都合で軽率だとは反省しながらも、しばしばいらっしゃる。こうした方面は真面目な人が乱れることもあるが、見苦しくなく落ち着いていらっしゃって、人がとがめ申し上げる振舞はなさらなかったのだが、おかしなまで朝も昼の隔ての間も落ち着かないという具合に悩ましくお思いになるので、一方ではとても馬鹿げたことで、それほどまで執着すべきことでもないと、強く心をお鎮めになる。女の様子は意外なほどに柔和でおっとりしていて、思慮深く重々しいところはなく、ひたすら若々しいが、男女の仲をまだ知らないわけでもなく、さほど高貴ではないだろう、どこにこれほどまでに心惹かれるのだろうかと、繰り返しお思いになる。 
[鑑賞]
 惟光の手配により、源氏は女のもとに通い始める。しかし惟光の主人だと悟られると素性がわかってしまう。そこで「かの夕顔のしるべせし随身」を「ゐて」(率いて・連れて)通ったのである。ここで疑問が生じる。最初の場面で、源氏の随身だ知られている者を連れて行けば、素性がわかってしまうのに、と。誤解しがちなのは、「ゐて」である。実際には、源氏の命によって随身がお供としてついていったのであるが、女の側には、随身が連れて行ったと思わせたのだろう。つまり随身の(同程度の身分の)知人として紹介したと考えると良い。惟光よりも随身の方が身分が低いので、その知人とすれば、まさか高貴な身分(天皇の子)の源氏だとは思われない。女房などの語りという体で書かれた物語の文章では、随身が源氏を「ゐて」とは書けなくて、源氏が随身を「ゐて」とするしかなかったのだろうが、この書き方は現代人にはわかりにくい。惟光の役割は、先の場面で説明した通り、私事の恋として隣の家の女とつきあい、その家に出入りするところまでで、源氏を連れて行くのは随身の役割となったのである。