夕顔物語11
まことやかの惟光(これみつ)があづかりのかいま見は、いとよくあない見とりて申す。その人とはさらに思ひより侍らず。人にいみじくかくれ忍ぶるけしきになん見え侍るを、つれづれなるままに、南のはじとみあるながやにわたり来つつ、車の音すれば、若き者どものぞきなどすべかめるに、このしうとおぼしきも、はひわたる時はべかめる、かたちなんほのかなれど、いとらうたげに侍る。一日(ひとひ)さきをひてわたる車のはべりしを、のぞきて、わらはべのいそぎて、右近(うこん)の君こそまづもの見給へ、中将殿こそ、これよりわたり給ひぬれといへば、またよろしきおとな出で来て、あなかまと、手かく物から、いかでさはしるぞ、いで見んとてはひわたる。うち橋だつものを道にてなんかよひはべる。急ぎ来る者は、きぬのすそをものにひきかけて、よろぼひたうれて、橋よりも落ちぬべければ、いでこの葛城の神こそ、さかしうしおきたれとむつかりて、もののぞきのこころもさめぬめり。君は御なほし姿にて、御随身(みずいじん)どももありし、なにがしくれがしと数へしは、頭中将の随身、そのこどねり童をなんしるしにいひ侍しなどきこゆれば、たしかにその車を見ましとの給て、もしかのあはれにわすれざりし人にやとおぼしよるも、いと知らまほしげなる御気色を見て、わたくしのけさうもいとよくしおきて、あないも残る所なくみ給へをきながら、ただわがどちとしらせて、ものなどいふ若きおもとの侍るを、そらおぼれしてなん、はかられまかりありく。いとよくかくしたりと思ひて、小さき子どもなどの侍るが、言あやまりしつべきもいひまぎらはして、又人なきさまをしゐてつくり侍るなど語りて笑ふ。あま君のとふらひにものせんつゐでに、かいま見せさせよとの給けり。
隣の女たちをかいま見る
[口語訳]
 そうそう、例の惟光が担当する垣間見は、うまく事情を探って報告してきた。(惟光)「その人が誰かまるでわかりません。人に隠れ忍んでいるようですが、暇に任せて南の半蔀のある長屋に来て、車の音がすると若い女房がのぞいたりしていると、この主人らしき人も這って来ることがあるようで、容貌はほのかながらとても可愛らしいようです。
 ある日、先追いして通る車があったのを、のぞいた童が急いで、右近さん早く見てくださいな、中将様がここにお通りですよ、と言うと、きれいな女房が出て来て、静かにと、手で制止するものの、どうしてわかるの、じゃあ見ましょうと這って移動する。跳ね橋らしきものを通る。急いで来る者は、衣のすそをどこかに引っかけてよろけて橋から落ちそうになるので、もうこの葛城の神は危ない仕事をしてと文句を言って、のぞき見の気分もさめたようだ。
 君は、直衣姿で、随身たちを誰それと数えたのは、頭中将の随身と小舎人(こどねり)童を根拠に言いました」など申し上げるので、「その車を確かめたかったな」とおっしゃり、もしやあの可愛らしく忘れられない人かと思いつき、ご関心がおありのご様子。それを見て「私個人のつきあいを利用して事情もすべてわかっているのに、対等のふりしてものを言う若い女性がおりますが、とぼけてだまされて行き来しています。うまく隠したつもりで小さい子が言い間違うのをごまかして、主人がいないように取り繕っています」などと語って笑う。「尼君の見舞いのついでに垣間見させてくれ」とおっしゃる。
[鑑賞]
 「まことや」は話題を変える時の接続詞。「かの」は例の、噂の。「あない」は案内、事情の意味。「その人と」は何者だとその名がわかること。底本「絵入源氏」では「ながや」に長屋と中屋の両説を示し、濁点をつけた本文の左に清音を示す記号「・」をつけている。中屋は中の間。五条大路に面する半蔀のある間。冒頭場面で女たちがのぞいていたのも、貴公子のお忍び車をのぞきに出てきていたことが、この場面によってわかる。光源氏を頭中将かと思ったのかもしれない。黒須説では、だから頭中将と見間違えたのだと解釈した。しかし、惟光の報告から、女達が頭中将一行を見間違うべくもないことは明らか。頭中将がお忍びで通っていた様子を知る女達なら、目の前に停まった車が頭中将以上の貴公子のお忍びだとわかっただろう。女たちは源氏を「心あてに」ではなく「いとしるく思ひあてられ」たのである。
 惟光は、主人のために私事の恋として隣の家の女とつきあい、その家に出入りするようになる。