《資料紹介》 
 源氏物語には、大きくわけて二通りの研究があります。よく知られているのが、源氏物語を熟読し、その内容について論じる研究、一般に文学研究と言えば、こちらを指します。もう一つが、学者が研究する、本文系統や注釈、そして本そのものについて調査し研究する実証的な文献研究です。国文学にはこの二通りの研究があり、両方を研究しなければ正しい研究にならないのですが、源氏物語の場合には、研究の歴史が長く、注釈書も本文も江戸時代から出版され、現代では多くの活字本が出ていることから、源氏物語研究者の半数以上が、写本や版本の歴史や成り立ちをさほど意識せず、出回っている活字本や口語訳(現代語訳)を頼りに、現代小説を読むように鑑賞し、そこで得た疑問や考えを論文にしています。学部の卒業論文は大抵このタイプで、卒論ではそれで十分です。
 けれども、本格的に研究する場合は、源氏物語の本文がどのように伝わってきたのか、各時代の注釈書に書かれたことは本当に正しいのか、それぞれどのような意図で書かれたものなのかを知る必要が生じてきます。そのために研究者は、写本の一字一句を翻字(活字翻刻)する作業から始めたり、注釈書の諸本を比較したり、それぞれの注釈の意図を考えるために時代背景を研究したり、といった研究をします。本を調べる書誌学は、大変な手間と時間がかかりますから、ひたすらデータを集積する必要があり、物語そのものを味わうまでに至らない例もあります。無味乾燥な研究に見えるので、そうした調査研究から離れて、できあがった活字テキストを熟読することに意義を見いだす人々もあります。いずれも両極端で、相容れないばかりか、何のために研究しているのか疑問を感じます。内容を理解するために書誌学をするのであり、書誌学だけに終わると内容が見えません。研究している本人には見えているのでしょうが、少なくともうまく伝わっていないのです。一方、書誌学なしに意味内容だけを論じる人は、そもそも現代語訳はもちろん、活字本文にしても書誌学的な研究の上に成り立っていることに気づいていません。それは現代語訳や外国語訳でも可能な研究であり、古典の真の理解は、両方を研究することから始まります。
 「どこでも源氏物語」のトップページでも触れましたが、本は扉の形をしていて、私たちにその本が作られた時代や世界へと誘ってくれます。口語訳の本の扉からは、訳された時代=昭和や平成の源氏物語は見えますが、その背景までは見えません。活字の本でも注釈などが記載されていれば、その注釈書が作られた室町時代や江戸時代の考えが見えます。原本を手にして研究すると、その本が作られた時代の文化が見えてくるのです。ここで紹介するのは、帝塚山大学および私自身が所蔵している本で、国宝・重文級のものはありませんが、本の形態から内容まで詳しく紹介することによって、その扉の向こう側にある社会を追体験していただこうと思います。
 なお、ここに紹介する資料は、2008年、京都文化博物館の二つの源氏物語展で出品された本です。それ以前にも、中古文学会関西部会でも二度、展示しています。

書誌学関連の図書
  • 『首書源氏物語 絵合松風』(和泉書院、1990年)
  • 陽明叢書国書篇『源氏物語』16巻(思文閣出版、1979~82年)
  • 『帝塚山短期大学蔵「光源氏系図」影印と翻刻』(和泉書院、1994年)
  • 『絵入源氏』桐壺・夕顔・若紫(おうふう、1993~2000年)
  • 『源氏物語版本の研究』(和泉書院、2003年)
  • 『国宝「源氏物語絵巻」を読む』(和泉書院、2011年)
  • 『源氏物語千年紀展』図録(京都文化博物館、2008年)
  • 読む、見る、遊ぶ 源氏物語の世界』展示図録(京都文化博物館、2008年)
1『首書源氏物語』影印叢刊
 『湖月抄』に先立つ版本。既刊16冊の原本をチェックして下準備をし、巻末付録に同時代の版本の挿絵の解説を書きました。この本の編者が不明なのが気になり研究するようになりました。
2『絵入源氏』三巻(おうふう)
 多数の挿絵を有する「絵入源氏物語」に関心を抱き、その本文が近世流布本の基になっていることを解明すべく、この本文を初めて活字本として紹介、各種版本の本文校異も掲載しました。
3『源氏物語版本の研究』604頁
 源氏物語版本の本文・挿絵・書誌すべてを対象とした体系的な研究書。母校に博士課程がなかったので、伊井春樹氏に主査をお願いし、この本で大阪大学から博士(文学)の学位を授与されました。修士から20年以上経て2冊目の研究書でようやく論文博士となりました。
 
〈補足〉
 私の研究も、初めは、物語の内容を論じるもので、卒業論文・修士論文を基にした『源氏物語の風景と和歌』は、そのタイプの研究です。近世の木版本の研究を始めたのは大学院修了後です。きっかけは『首書源氏物語』影印本の編集と巻末の挿絵解説を担当したことでしたが、そこから本格的に源氏物語の版本を調査して『源氏物語版本の研究』にまとめました。それ以前に本文については、陽明文庫本を影印と活字で紹介する陽明叢書『源氏物語』全巻の活字翻刻の校正を担当していたことから、写本の解読や本文の調査に関心を抱くようになりました。従って版本研究も単なる書誌的な調査に終わらず、諸本の本文を比較調査することによって、近世の流布本の系譜を明らかにすることができました。また、版本で源氏物語を読むことによって、物語の内容についての読解力が増し、これまで議論されながら解決し得なかった和歌の解釈が得られました。
〈帝塚山大学にて〉
 文学部日本文化学科の図書館司書課程科目「図書館資料特論」では、ここで紹介する原本を実際に見て、その見分け方や扱い方を学びます。司書資格のみならず博物館学芸員資格を目指す学生も受講しています。