4『清水好子論文集』刊行
  皆様、清水好子先生をご存じですか?
 源氏物語および紫式部の研究者やファンで清水好子先生のお名前を知らない人は少ないと思います。岩波新書『紫式部』や塙新書『源氏の女君』、あるいは『源氏物語論』の著者であり、新潮日本古典集成『源氏物語』の校注者です。瀬戸内寂聴さんは、『源氏の女君』の影響を受けて、『女人源氏物語』を書いたと言われます。
 名前が似ているためよく誤解されるのですが、管理人の私と清水好子先生との間に、血縁関係はありません。研究課題が似ていることも、直接の影響を受けたからではなく、恩師が同じ玉上琢彌であったこと(世代の異なる姉妹弟子)や、京大系の学統を受けていたことなどにより、結果的に研究が似てきたのだと思っております。
 さて、このたび、武蔵野書院から『清水好子論文集』全三巻のうち、第一回配本の第二巻が刊行されました(武蔵野書院HP)。この論文集の企画と編集をしましたのが、関西大学の山本登朗氏と田中登氏、そして私の3名であり、第二巻の編集校正は私の担当です。早くも私のもとには、第二巻をお送りした先生から御礼のメールが届き始めています。中古文学会春季大会をはじめ学会での販売を皮切りに、書店でも順次売り出されると思います。武蔵野書院さんが頑張ってくださったおかげで、一冊3500円という破格値、全三巻10500円で待ちに待った名論文がお手元に揃います。国文学を研究する若い方々に是非読んでいただきたいと思って編集したのですが、好子さんの少し後輩に当たる、現在は大御所の先生方からも、喜びのお声をいただいております。
 この論文集の編集を通して、これまで故人や大御所の著作集を編集をなさった方々のご苦労が身にしみましたが、何よりも私自身がまず勉強させていただきました。準備期間は長く、この企画の発端は、2008年の源氏物語千年紀にありますが、諸事情もあって本格的に進めることがかなわず、2012年秋にようやく具体的な企画が決まり、2013年から今年にかけて編集作業をして完成に至りました。その経緯についてお話ししておきたいと思います。
 論文集企画の発端は2つあります。1つは、私自身が清水好子の評伝を執筆したことでした。源氏物語千年紀の活動として、おそらく最も早期に企画準備が始まったと思われるのが、紫式部顕彰会編『源氏物語と紫式部―研究の軌跡』です。源氏物語千年紀の発案をなさった角田文衞先生からの依頼により、片桐洋一先生が委員長となられ、10名の研究者による編集委員会が発足しました。角田先生のご提案は、源氏物語と紫式部の学術論文目録を作りたいというものでしたが、名論文と研究史を作った学者を厳選して掲載するという片桐先生のご提案に、角田先生も承諾されました。角田先生ご臨席のもと、最初の委員会が2006年8月に招集され、何度も編集会議をして、「昭和の研究史を作った人々」10名と、昭和の名論文40編を選びました。最初の10名の中に紅一点で清水好子先生が入り、私はその評伝を担当することとなりました。
 評伝に掲載する遺影のために、ご遺族から写真をお預かりすることが最初の仕事でした。そこで、夫君で万葉集研究者(新潮日本古典集成の校注者)の清水克彦先生にお手紙で事情をご説明した上で、お電話しました。お写真をお預かりしたいこと、好子先生のお人柄やご研究についてご家族のお立場からのお話しをうかがいたいとお願いしました。すると克彦先生は「大した話はできませんが、お越し下さい」と快諾してくださいました。お会いすると、克彦先生いわく「電話でのあなたの話の切り出し方が単刀直入なのでお会いしてもいいなと思った」とのことでした。つまりは気に入られたということだったのでしょうか。好子先生がすぱっとものをおっしゃる感じがどことなく似ていたのかも、などと思っております。大阪育ちというのも共通しているのかもしれません。ともあれ、好子先生のお導きなのか、克彦先生とのお話は本当に楽しくて、好子先生のご研究についてうかがいながらも、克彦先生と私の和歌研究についてもいろいろお話ししました。
 克彦先生は「僕と家内とはあまりお互いの論文を読まないから」とおっしゃいましたが、それはわが家(夫が近代文学研究者)でも同じことです。けれども、お相手を研究者としてしっかり観察なさり、若かりし頃の研究や当時の学界での流行についても教えて下さいました。私自身は、片桐先生や森一郎先生から当時のことを少しうかがってはいましたが、やはりリアルタイムで好子先生の御論文を読んでいませんので、どうしても捉え方が異なります。ところが克彦先生のお話をうかがっていると、若かりし頃の好子先生のお姿がありありと浮かんできました。これなら評伝が書けそうだと安心し、名残を惜しみながらご自宅をあとにしました。結局、2時間ほどの予定が3時間になっていました。いくつものヒントをいただいた中で、共感したお言葉は、「何が書かれているか」ではなく「いかに書かれているか」にお二人が関心を抱いておられたことでした。そこで評伝には、好子先生の研究の特色が、その「何が」よりも「いかに」に着目し見極めようとしていると、お言葉をそのまま借用させていただきました。
 評伝執筆にあたり、当然のことながら好子先生のご論文を数多く集めて何度も読みました。そのとき私が思ったのは、好子先生の晩年の論文が広く知られていないこと、その理由は後半の諸論文をご自分で論集や研究書の形でまとめられなかったからだということでした。好子先生は、単行本の他には、「物語の文体」「源氏物語の作風」「主題と方法」や「準拠」など、『源氏物語の文体と方法』所収のご論文が有名で、それらについては何度も取り上げられ再録されました。引用率はきわめて高く、リアルタイムで雑誌論文をお読みになられた年輩の先生方を除き、研究者は『源氏の女君』『源氏物語論』『紫式部』『源氏物語の文体と方法』の4冊で好子研究のすべてがカバーできるような錯覚に陥っていたような気がします。私自身が取り組んできた源氏物語と和歌との関係、源氏物語の和歌の位置づけ、という研究課題は、昨今ようやく本格的に成されるようになりましたが、以前は、文体論、人物論、主題論、準拠論と、好子先生が歩いてこられた研究の跡を追うような課題が盛んで、源氏物語が和歌を基盤としていたこと、和歌を尊重する時代に作られた物語であることが忘れられているように感じられたものでした。そんな流行の一端をお作りになったのが好子先生ですが、ご論文を年代順に読んでいくと、当該課題が流行した頃には、ご本人はさらに先を歩いて行かれたことがわかりました。そして後半に相次いでお書きになった論文が、物語と歌との関係についてでした。この諸論文がまとまっていれば、源氏物語研究はもっと早く和歌の重要性に目覚めたのではないか、こんなに早くに提唱されながらも、まとまっていないために見落とされていたとすれば残念だと思い、せめて単行本に入っていない後半の論文だけでも紹介できないだろうかと思うようになりました。
 評伝掲載の『源氏物語と紫式部―研究の軌跡』完成から数ヶ月後、克彦先生をご訪問しました。先生は、例の「何が」と「いかに」をはじめ、拙稿の評伝をとても喜んでくださいました。そして、「こんな風に書いてくださるなら、もっと話しておけば良かったな」と前置きをしてお話し下さったのが、好子先生のご研究に対するご意見でした。「家内は大阪育ちだからか、人物ばかりに興味があって、自然に目が行かないのが不満だった」と。それに対して私は「実は私も以前はそんな風に感じていましたが、晩年の御論文を拝読すると和歌に注目されたものがどんどん増えて、自然や季節感に関するご論文がすばらしいと思いました」とお答えしました。すると先生が「ならお話ししようかな」と切り出されたのが、関西大学の山本登朗氏から「好子先生の著作集を企画したい」というお手紙をいただいたということでした。そのきっかけは、当時、日本女子大学の学長をなさっていた後藤祥子先生が、関西大学の学長との面談において、関西大学名誉教授の清水好子先生の著作集がないのが残念、とお話しなさったことでした。そのことを関西大学の田中登氏が学長からうかがい、山本氏と相談し、ご遺族にご承諾をとなった次第でした。私にとって、田中・山本両氏は旧知のお二人ですから、これは私も参加することになると思い、「先ほどのご論文を是非広く紹介したい」と申し、克彦先生は「昨今の出版事情を考え、全著作集などという大きなものではなく、あなた方が若い人向けに良いと思うものを選んで作ってほしい、私はそれを楽しみにしています」と言ってくださいました。詳しい経緯は『清水好子論文集』に記載しませんでしたが、秘匿すべき内容ではなく、すばらしいご提案とご意向だと思いますので、ここに公表しておきます。
 その前後、私は、中古文学会の懇親会などで好子先生の論文集企画についてお話しし、協力を申し出てくださる研究者もいました。しかし具体的な作業をどうするか、忙しさにまぎれ、また具体案も出ないまま月日が過ぎてしまいました。その間にも、克彦先生のお言葉が忘れられず、私が編集準備を始めるしかないと思い、2007年に集めていた論文を読み直し新たに集めて本の構成を考えました。テーマ毎に分類する方法もありますが、個々の論文もさることながら、清水好子という優れた研究者が何を考えどのように研究を進めていったか、という点が興味深いと思い、山本・田中両氏とご相談して年代順に配列しようと決めました。それでもすべてを年代順にするのではなく、源氏物語以外のものは別冊にということで、60編の初出論文の字数を数えてページ割りをし、源氏物語二冊とその他一冊で原案を作りました。この段階ではまだどなたかにご協力をお願いするか、コラムの執筆などをお願いすることなども考えていましたが、論文を集めるだけで作業が繁雑なこともあり、人数が増えれば増えるほどコピーのやりとりや連絡がしにくく話もまとまらなくなりそうなので、紆余曲折がありましたが三名のみで編集をすることとなりました。出版社は武蔵野書院にお願いすることとなり、前田社長を含めて四名で企画会議を行い、原案通り三冊で進めることとなりました。(ささやかな自慢を一つ。私が計算したページ割と構成を原案としたのですが、それがほとんど変わらないまま本になりました。)
 それとは別に、私がしたかったのは、三巻に分けた論文を、著書・論集などを含めて「年次順著書論文目録」として巻末に掲載し、それに基づいて、研究者・清水好子を紹介したいということでした。これこそ、源氏物語千年紀の評伝では叶わなかった宿願でした。私自身の研究が、紫式部の日記や家集ではなく源氏物語を中心としていますので、どうしても源氏物語に偏りますが、その大きな作品にどのように立ち向かったのかを伝えたいと思いました。従って、第二巻所収の解説では、第一巻に収める初期の論文を紹介しつつ、後半にどのように関心が移ったのかを書きました。これこそ、まず克彦先生にお読みいただきたいと願い続けたものです。長らくお待たせしました。企画が進まないときには顔向けできずご無沙汰していましたが、原案ができたときご報告にうかがいました。その時にも3時間お話しし、研究についてさまざまなお話しをしました。それからまたお待たせしましたが、せめて私が担当する第二巻だけでも早くお届けしたいと思い、なんとか仕上げました。同じ時期に並行していた仕事が、自分の研究の集大成とも言える『源氏物語の巻名と和歌―物語生成論へ―』の校正でしたから、この冬は本当に大変でした。ご満足いただけるものになったかどうかはともかく、お約束は果たすことができました。第一巻と第三巻は、秋までに刊行されますので、克彦先生、皆様、しばらくお待ち下さい。それまでは、好子先生が到達された源氏物語研究の高度な諸論文をご堪能下さい。難読漢字・熟語にはルビを振りましたので、若い方々にも読みやすくなっていると思います。この巻の担当は私から願い出たもので、個人的には、これをまず皆さんにお届けしたいと思ったのですが、第一巻と第三巻も珠玉の論文です。お楽しみに。

 参考図書
1パンフレット
 チラシの内側には、増田繁夫先生・後藤祥子先生による推薦文が掲載され、全三巻の所収論文が記載されています。裏側には、好子先生の略年譜(第一巻に掲載)。
  2『清水好子論文集 第二巻  源氏物語と歌』(第一回配本)
 6月1日に刊行されたばかりの第二巻。第一巻・三巻は秋に刊行予定です。帯の文は、巻頭言(拙稿)から抜粋しています。
  『源氏物語と紫式部―研究の軌跡』
 2008年の源氏物語千年紀記念の最初の事業として作られた研究書。千年紀発案者の角田先生と委員長の片桐先生のご監修、10名の編集委員によって掲載論文と研究者が選ばれ、それぞれ50名の執筆者が評伝および論文紹介をしました。
〈補足〉
  3の本では、40編の名論文の詳しい解説があるのに対して、「昭和の研究史を作った人々」10名については、二倍の頁数ながら、論文の掲載などはなく、代表的な著書や論文を簡単に紹介しながら、長きにわたる研究人生を振り替える内容になっています。源氏物語千年紀にふさわしい好企画ではありますが、清水好子先生の魅力は、やはりそれぞれの文章のすばらしさにあったと思います。ほんの一部を引用して紹介するのがとても残念でしたので、今回の『清水好子論文集』全三巻によって、知られていない論文はもちろん、入手困難となった名論文を再読して、その流麗な文体と説得力を体験していただければと思っています。


〈第一巻・第三巻も続刊〉お詫びも
 第一巻も8月に刊行され、第三巻も9月に刊行されます。第一巻・第二巻所収論文の初出一覧と、その基になった拙稿「年次順著書論文目録」の初出雑誌の号数などに誤りがありましたので、第三巻に正誤表を添えることになりました。増刷改訂されることがありましたら訂正しますが、正誤表で初出の号数をご確認くださるようお願いします。
   4『清水好子論文集 第一巻 源氏物語の作風』(第二回配本)
 8月1日に刊行されました。「作風」は、好子先生が初期の論文に繰り返し使用された用語です。『源氏物語の文体の方法』に収められた有名な論文を再録しています。