「絵入源氏物語」夕顔
 六条の邸で、光る君の朝帰りを見送る女房の姿を朝顔にたとえて、源氏は歌を詠みます。部屋の中から、けだるそうに顔を上げて源氏を見送る女君は、この巻では「六条わたり」としか書かれていませんので謎の女性と言えます。
 「絵入源氏物語」夕顔
 夕顔を取り殺した物の怪について、某の院の準拠である河原院の鬼とする説、六条御息所の物の怪、または御息所の女房とする説などがあります。御息所の物の怪とする根拠はありませんが、ここから後の物の怪の話に繋がったのでしょう。
  3「絵入源氏物語」本文夕顔巻頭
 江戸時代の版本では傍注に「六条の御息所」と記してあります。以後これが踏襲され、私たちはこの女君を御息所だと知って読み進めるのです。そんな読み方で楽しいでしょうか?

4「絵入源氏物語」葵
 六条御息所が車争いの恨みで生き霊になり、葵上を取り殺す場面。御息所には、夢の中の出来事として認識されますが、このあと葵上の治癒のための祈祷の護摩の香が御息所の髪に染み付いてとれません。
2)六条の女君
 朝霧に見え隠れする朝顔の花は、夕顔巻においては、六条の邸宅の女主人あるいは若い女房の比喩とされました。さて、ここで一つ疑問が出て来ます。夕顔巻の「六条わたり」とは誰を指しているのでしょうか。源氏物語を知っている方は「もちろん六条御息所よ」と胸を張ってお答えになるでしょうね。源氏物語の活字テキストには、「六条わたり」の箇所に「六条御息所」と書いてあり、現代語訳なら「六条御息所様」と断定しています。でも夕顔巻を読む限り、どこにも御息所だとか元皇太子妃だとか女宮の母親だとか書かれていません。源氏物語を時系列で読み進めると、五年ほど後の葵巻になって「まことや、かの六条の御息所の御腹の前坊の姫君、斎宮にゐたまひにしかば」と語られ、夕顔巻や末摘花巻で登場した「六条わたり」の女君が、実は前坊(先の皇太子で亡くなられた方)の妃であり、その姫宮が斎宮になられたのだと、読者は知ることになります。その方がこのあと車争いで被害者となり、物の怪となって源氏の正妻を取り殺し、賢木巻で姫宮に付き添って伊勢に下向するという印象的な物語へと展開していきます。私たちはこの印象があまりにも強烈であるため、夕顔巻の「六条わたり」に御息所と記されていると、後に物の怪になる御息所の初登場の場面だと思ってしまいます。もちろんそのことを否定するわけではなく、葵・賢木の二巻との関わりを考えれば、夕顔巻の女君が御息所であることは疑いありません。けれども、仮に葵巻がまだ作られていない段階、たとえば、帚木巻・空蝉巻・夕顔巻・若紫巻、あるいは桐壺巻や末摘花巻が加わった段階、あるいは紅葉賀巻・花宴巻までならどうでしょうか。この女君が高貴な方だとはわかっていても、果たして皇太子の未亡人だと想像できたでしょうか。もちろん「齢のほどもにげなく」(年齢も不釣り合いで)とありますから、源氏の君より年上だと想像はできますが、実際は葵の上と同じ四歳年上なので「にげなく」とまで言えるかどうか、当時の貴族の結婚では一般的な年齢差と言えます。確かに、後の御息所の行動につながる「いとものをあまりなるまでおぼししめたる御心ざま」(あまりにも思い詰める性格)として造型されていますが、それは夕顔巻における人物造型を葵巻で具体化したからと言えます。少なくとも夕顔巻では、この女君を御息所としてどれだけ具体的に構想し得ていたのか、と疑問に思うからです。朝顔の場面を読む限りでは、この女君は帚木巻で朝顔を贈られた方、つまり朝顔の宮かしら、と思った読者もいたのではないか、ということなのです。結果は御息所でした、という種明かしに文句はありませんし、それが正解に違いないのですが、ひょっとしてこの方が?と思って読む楽しみがあったと思うのです。サスペンスならずとも、何人もの人物が主人公の前に現れると、読者はどの方が意中の人なのか、どの方が幸せになるのかと、胸をときめかせます。当時の読者もそうして続編を楽しみにしたのだと思います。
 ところがどうでしょう。いまの読者にはそんな楽しみが最初から削がれているのです。「六条わたり」(=六条御息所のこと)と、まったく大きなお世話です。犯人が登場するといきなり(これが犯人です)と書かれていたら、そんな本は破り捨てたくなりますよね。そんなことを、源氏物語のテキストではしているのです。だから私はあえてこんなにごちゃごちゃと、別の可能性もあることを書いているのです。せめて夕顔巻を読んでいるときには、この女君は、まだ素姓もわからない高貴な女君とだけ受け止めて楽しんでいただきたいと思います。

関連書籍
  • 『源氏物語の風景と和歌』(和泉書院、1997年、増補版2008年)
  • 『源氏物語の巻名と和歌―物語生成論へ―』(和泉書院、2014年)
  • 『源氏物語の真相』(角川選書、2010年)
  • 『光源氏と夕顔―身分違いの恋―』(新典社新書、2008年)