出身地について
 新典社新書『光源氏と夕顔』の著者紹介には「岡山県生まれ」とあることから、Wikipediaではそうなっていますが、実は岡山出身は両親までで(親戚は今も岡山県)、私自身はJR岡山駅近くの家で生まれたあと、家族で神戸に転居し幼年期を過ごしました。小中高校時代は、兵庫県伊丹市と大阪府枚方市に6年ずつ、大阪府立四條畷高校から大阪市帝塚山にあった大阪女子大学に入学、4年のときに大学が堺市の仁徳天皇陵(大仙古墳)傍に移転し、大学院では堺市で下宿したのち、大阪府寝屋川市の自宅に戻りました。つまり私の出生地は岡山ですが、育った場所は兵庫県と大阪府なのです。生まれた地を紹介する出版社の習慣によって「岡山生まれ」としましたが、私自身は親の実家としての岡山しか知りません。伊丹の小中学校に通いましたが、大阪の京阪沿線に転居し、高校・大学も大阪府立なので、大阪出身という方が落ち着きます。もちろん関西弁です。結婚相手が生粋の奈良出身者という影響もあって、平城ニュータウンで家庭を持ち、20年間そこで子育てし、自宅から30分の帝塚山短期大学に就職しました。けれども、琵琶湖と比叡山に挟まれた風土に魅せられ、21世紀の初め、滋賀県大津市(湖西)に自宅を新築し移転しました。紫式部が石山寺から観たという伝説の「湖月」をながめ、比叡山からの生の除夜の鐘を聴き、比良の暮雪や堅田の落雁など、近江八景を身近に体験できること、夏は涼しく、冬は雪が積もるのに暖かいという風土には、奈良にない良さがたくさんあります。しかしながら、勤務地が近鉄学園前駅前から東生駒キャンパスに変わったことなどによって通勤が不便になり、生駒山を見渡すマンションを購入し、生駒を拠点にした時期もありましたが、今はほとんど大津にいて時々生駒に泊まります。大阪から生駒山は東にあり、奈良では西に生駒山があります。京都では山で方角がわかると言いますが、大阪人は生駒山が目印でしたから、生駒を抜けると感覚が逆になります。
 つまり私には確たる出生地や出身地がありません。それだけに、京都や奈良で何百年も続く家やその地に住み続けて拠点としていらっしゃる方々とは、物の見方が異なると思います。最大の欠点は、一定の場所からの視点意識に欠けているため土地勘がなく方向音痴、転校が多く一度に多数の未知の人に出会う経験を重ねてきた上に近視であったため人の名前と顔を覚えるのが苦手(最初からあきらめてしまう)ということです。利点はその裏返しで、初めての土地での(パリでも)一人歩きが好きで、多数の観客・聴衆・テレビカメラの前でも落ち着いて話ができることです。こんな私でも、小学校の入学時には返事が小さくて聞こえないと何度も名前を呼ばれ恥ずかしい思いをしました。幼少期は少し内気だった息子達も転校によって鍛えられ、今は物怖じしない青年に育ったという荒っぽい母親でもあります。おかげで、私も息子も優等生にはなれませんでしたが……。かたや夫は奈良生まれ奈良育ち、奈良の旧市街で、お盆にはご先祖さんを描いた肖像画の掛け軸が並ぶ家に育ちました。けれども私たちは次男次女夫婦の核家族なので、気に入った湖西に家を新築して転居しました。同僚の万葉集研究者からは「まるで天智天皇やなあ」と言われました。近江京の近くで、柿本人麻呂や紫式部が舟で行き来した琵琶湖も見えます。天智天皇は遷都まもなく亡くなり都は再び奈良に戻りました。私も新築から5年後に生駒に拠点を移したときは人麻呂と同じ心境でしたが、再び湖西に戻り、今は滋賀県民として過ごしています。


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 8琵琶湖の月
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