3パリから東北を思う
 2013年3月、イナルコで行われた対論「和歌の視線」に関する話題についてお話しします。東京大学の渡辺泰明さんと、ライデン大学のイフォ・シュミッツさんが研究発表をなさり、私も会場参加者として拝聴しました。渡辺さんの発表は、和泉式部の哀傷歌を検討し、式部が自己を客観視しているといったご指摘でした。この捉え方は、和泉式部日記が物語的であることにつながると興味深く聞かせていただきました。シュミッツさんのご発表は、河原院が塩釜の浦を模していたことを取り上げ、塩釜が長く歌枕であり続けたのはなぜだろうかと結ばれました。翻訳メンバーとの活発な討論のあと、会場から質問や発言をということで、盛り上げ係として参加した私は、お二人のご発表が、哀傷・鎮魂という点で共通していると申しました。
 時期は、東日本大震災のあった3月であり、その2年前のシンポジウムは、そのさなかに行われ、関東からの参加者が急きょ帰国するという出来事がありました。私は、その一週間後にパリに到着し、寺田さんと2014年シンポジウムの企画を相談しました。そんなことから、パリは、私にとって懐かしい異国の地であると同時に、東北の地に思いを馳せる場所にもなりました。そのためなのでしょう、渡辺さんとシュミッツさんのご発表から、すぐに鎮魂という言葉が浮かびました。
 シュミッツさんの投げかけてくださった疑問に、私は、次のようにお話ししました。「源融が河原院で塩釜の浦を模したのは、貞観大津波の被害で壊滅した塩釜の浦への哀傷と鎮魂の意味があったのではないでしょうか。その河原院もまた賀茂川の氾濫で荒廃しました。河原院と塩釜の浦は、どちらも滅びたところですから、亡くなった人々への鎮魂の思いが重なって歌枕になったのではないかと思います。源氏物語の六条院は、それらを踏まえて六条御息所と源融の鎮魂とを合わせて河原院を模したのではなかったでしょうか。」と。対論のあと、シュミッツさんからこれについてお書きになった論文がありますかと問われましたが、お二人のご発表をうかがっていて、たった今思いついたことです、いずれ書きます、とお返事をしました。そこで帰国後、シュミッツさんへのお答えを兼ねて、『源氏物語の巻名と和歌―物語生成論へ―』のコラムとして入れました。大切なことなので、別のページ
「塩釜の浦と河原院」でご紹介します。

 参考図書
  • 寺田澄江・小嶋菜穂子・土方洋一編『物語の言語 時代を超えて』(青簡舎、2011年)
  • 『源氏物語の巻名と和歌―物語生成論へ―』(和泉書院、2014年)
  • 『源氏物語の風景と和歌』(和泉書院、1997年)第二章第二節「風景と引歌」一「末摘花巻の雪の情景」
  • 『源氏物語の真相』(角川選書、2010年)第三部
 
ポスター2013版
 2013年3月、イナルコ主催の対論「和歌の視線」。
東京大学の渡辺泰明さん、ライデン大学のイフォ・シュミッツさんが、パネリストして研究報告し、翻訳グループのメンバーとの討論がありました。
 
2論集『物語の言語』

 2011年のシンポジウムで発表を予定しながら帰国された方々の論文、東日本大震災によってシンポジウムが縮小・変更を余儀なくされたことなどが報告されています。
〈補足〉
 拙著『源氏物語の風景と和歌』でも哀傷の風景に着目して論じています。また、2008年のテレビ番組「源氏の物語とは何か」第七回(最終回)と、2010年の『源氏物語の真相』において、桐壺巻は、一条天皇の后であった中宮定子の鎮魂と一条天皇の悲しみを癒し、中宮彰子が天皇を慰めるために書かれたものとする仮説を述べました。
 震災の翌年2012年3月には、「BS歴史館 源氏物語誕生の秘密」に出演し、源氏物語は藤原道長がスポンサーであり、若紫巻は天皇が幼い彰子に関心を向けるための物語でもあったという説をお話ししました。この放送は何度も再放送され、国際放送もされましたが、2013年、道長自筆『御堂関白記』が世界記憶遺産になったことで、JALの国際線にも配信されました。これらの影響もあるのでしょうか、近年は源氏物語が藤原彰子のために書かれたものと認識されるようになってきました。
 なお、2011年12月に放映された角川映画『源氏物語 千年の謎』に私は関わっていませんが、間接的な関わりが少しはあるのかもしれません。そこでは彰子が天皇の愛を得るために物語が音読されたことが専ら強調されていますが、私は、定子皇后を亡くした天皇の悲しみを癒した結果、彰子との絆が深まったことと、源融や源高明など源氏一族の鎮魂の意味も大きいと考えています。