1『源氏物語とポエジー』
Le Roman du Genji et la poesie
 表紙の絵は、過去の2冊と同様、久保惣美術館の源氏物語手鑑の画像。今回の絵は、複数のパネリストが取り上げた紅梅の巻。梅枝の巻において、催馬楽「梅が枝」を唄った弁の少将が大納言になり、娘と匂宮との結婚を願って、紅梅の枝を添えて歌を贈る場面。
『源氏物語とポエジー』目次

二〇一三年対論 開会の辞  アンヌーバヤール=坂井

フランスにおける古典学の現在  ミカエル・リユケン

劇場としての物語の和歌――序に代えて 田渕句美子

Ⅰ源氏物語の和歌

 源氏物語の巻名・和歌と登場人物
 ――歌から物語へ           清水婦久子

 物語の回路としての和歌
 ――「幻」巻の場合           寺田 澄江

 「源氏物語」笑いの歌の地平
 ――近江君の考察から        久富木原玲

 [源氏物語]と「古今和歌集」
 ――俳諧歌を中心に         鷺山 郁子

Ⅱ言葉、そして共鳴する場

 「源氏物語」と中唐臼居易詩について
                       長瀬 由美

 舞曲《落蹲》をめぐって
 ――『源氏物語』を中心に       磯 水絵

 「源氏物絣」における催馬楽詞章の引用
 ――エロスとユーモアの表現法として
                 
スティーヴン・G・ネルソン

 平安文学における想像と形見としての庭園
                    イフォ・スミッツ
 「古事紀」の歌謡
 ――雛略における笑いと暴力  フランソワ・マセ

 西行和歌の作者像          渡部 泰明

Ⅲしるべとしての源氏物語

 「無名草子」における「源氏物語」の和歌
                       田渕句美子

 伝定家詠の源氏物語巻名和歌について
 ――祐倫著『山頂湖面抄』を読んで
           ミシェル・ヴィエイヤール=バロン

 中世詩人と『源氏物語』
 ――心敬の『源氏』受容を中心に
              
 E・ラミレズ=クリステンセン

 「零度の読み」としての源氏物語巻名歌
                 ジョシュア・S・モストウ

Ⅳ総括

 二〇一四年パリ・シンポジウム総括
                      寺田 澄江

  あとがき                清水婦久子
2パリ・国際シンポジウムによる過去2冊の論集
1)パリシンポジウム論集刊行
  2015年6月、パリ国際シンポジウムの論集3冊目が刊行されました。書名は『源氏物語とポエジー』です。1冊目・2冊目に続いて、イナルコの寺田澄江さんが中心となり、早稲田大学の田渕句美子さんと私の3名で編集をしました。昨年3月、パリのレストランで食事をしながら、この論集の編集について3名の役割を相談しました。今回の論集では、
2012年の対論「源氏物語と音楽」と2013年の対論「和歌の視線」、そして昨年のシンポジウム「詩歌が語る源氏物語」における成果をまとめる企画でしたので、そのすべてを企画された寺田さんが「総括」を書いて下さること、「序文」には、田渕さんが物語と和歌について、源氏物語と和歌について研究してきた私は「あとがき」を担当することとなりました。
 原稿の中には、フランス語で書かれたものもあるので、例によって寺田さんが日本語に翻訳してくださいました。編者と言っても、田渕さんと私は、集まった原稿の下読みをして気づいたことをメールする程度で、執筆者との連絡など煩雑なことはほとんど寺田さんがしてくださいました。意欲的な力作揃いで、ページ数も、1冊目233P、2冊目292Pから大幅に増えて、404Pになり、本の値段も上がりましたが、CRCAO(東アジア文明研究センター・パリディドロ大学他)とCEJ(日本研究センター・イナルコ)から多額の助成をいただいたおかげで、比較的安価におさえることができました。
 この論集の意義について、あとがき(拙稿)には、次のように書きました。
 パリの源氏グループの研究は、常に日本の古典とは何か、源氏物語とは何か、という大きな問題に正面から立ち向かうものであり、既刊二冊は、その大きな問いかけに応える意欲的な論集であった。今回のテーマにつながる詩歌の重要性に触れた論文の比率も高い。……(中略)……

 物語と近代小説の最大の相違は、和歌の伝統を受け継いでいるかどうかである。源氏物語の研究には、引歌を挙げる古注以来の八百年の歴史があるが、近代以後、活字化され、(現代語や外国語の)翻訳で読まれるようになり、ここ百年ほどは和歌が登場人物のせりふのように扱われてきた。パリの源氏グループでも、なぜ物語の解釈のために和歌を列挙する必要があるのかという疑問が出されたという。もっともな意見で、和歌を多く引用して論じる者には耳の痛いところである。源氏物語は注釈抜きでも十分に魅力があり価値もある。ではなぜ詩歌を数多く参照し訓詁注釈などという面倒な手続きをするかと言えば、より深く古典の世界に分け入り、さらなる魅力を発見した経験があるからである。源氏物語とは何かという問いかけに応えるには、源氏物語がどのような場でどのように作られたのか、各時代にどのように享受されてきたのかを知る必要がある。国内外に広く出回る書物を読むだけではなく、千年間の歴史と文化を知ることによって、この偉大な古典作品の本質に迫ることが可能となる。言語を理解すれば事足りるものではなく、まして言語の置き換えのみで伝えられるものではない。今回の「源氏物語とポエジー」は、まさに物語の背景にある文化を明らかにするための必然とも言えるテーマであった。
……(以下略)……
 私は大学院時代から「源氏物語と和歌」について研究してきました。最初は源氏物語の季節感や景と情の表現、自然描写などに関心を抱き、『源氏物語の風景と和歌』では主として、物語の自然描写が和歌表現をどのように取り入れ、後世の和歌に影響を与えたかということを論じました。源氏物語中の和歌そのものに焦点を当てた論は必ずしも多くなく、朝顔や玉鬘の和歌、そして第六章の「光源氏と夕顔」で論じた程度でした。その後しばらくは作品論から離れて、近世の版本を調査研究し、版本の本文調査と校合に熱中していました。それが資料紹介などでも取り上げた「絵入源氏」などの研究であり、『源氏物語版本の研究』で博士の学位をいただきました。つまり私の学位は版本書誌学で得たものですが、その基盤は源氏物語の作品研究です。朝顔・玉鬘・夕顔は、巻名であり女君の呼称であり、物語のテーマであり、和歌・歌語でもあります。この論から、私は巻名それぞれが物語のテーマを表し、女君の役割を示していると考えるようになりました。一方、版本を研究していると、『源氏小鏡』や「絵入源氏」で必ず巻名の意味が記され、その名が物語中のどこにあるのかを記していること、中世・近世の読者が源氏物語の巻名に強い関心を持っていたことを知りました。このことから、私は次の研究テーマを「巻名論」と決めました。
 巻名について最初に書いたのが、西暦2000年記念論集『源氏物語研究集成』の第9巻「源氏物語の和歌と漢詩文」所収の「源氏物語の和歌的世界―歌語と巻名―」でした。このときの編集者は、今回の論集を編集してくださった青簡舎社長の大貫祥子さんでした。その論文では巻名の成立について踏み込んではいませんでしたが、巻名が物語の主題を示していること、和歌と深く関わっていることを論じました。この論が発端で、54帖の全巻を論じたのが、シンポジウム直前に刊行した『源氏物語の巻名と和歌 物語生成論へ』であり、今回の論集では、それを基にした物語生成論・人物論に発展させました。つまり、源氏物語と和歌と巻名と版本とは切り離すことのできないテーマで、このサイトもこのテーマに繋がっています。今回のシンポジウムに急きょ参加してくださった、カナダ・ブリティッシュコロンビア大学のジョシュア・モストウさんの論は「『零度の読み』としての源氏物語巻名和歌」ですが、そこで例示された版本の図版の一部に、このサイトでも紹介している私の「絵入源氏」と『源氏小鏡』の画像を提供させていただきました。こうして私の研究が遠く離れた研究者の方々とも繋がっていることを実感することができました。
 参考図書
 ・寺田澄江・清水婦久子・田渕句美子編『源氏物語とポエジー』(青簡舎、2015年)
 ・寺田澄江・高田祐彦・藤原克己編『源氏物語の透明さと不透明さ』(青簡舎、2008年)
 ・
寺田澄江・小嶋菜穂子・土方洋一編『物語の言語 時代を超えて』(青簡舎、2011年)
 ・
清水婦久子『源氏物語の風景と和歌』(和泉書院、1997年 2008年に増補版)
 ・清水婦久子『源氏物語版本の研究』(和泉書院、2003年)
 ・清水婦久子『源氏物語の巻名と和歌 物語生成論へ』(和泉書院、2014年)
 ・増田繁夫・鈴木日出男・伊井春樹編『源氏物語研究集成』1~13(風間書房、2000年)