9京都で源氏物語
 京都から発信し、東京でも提案された「源氏物語千年紀」ですが、発案者は角田文衞氏だとうかがっています。角田先生は、古代学協会、京都文化博物館の前身である平安博物館、紫式部顕彰会と、紫式部と源氏物語に関する大きな活動で知られていますので、私が知りうることだけお話しします。偉大な恩師のところで書いた通り、後に『源氏物語と紫式部―研究の軌跡』となった書物の編集委員会において、角田先生は片桐洋一委員長に全権を委ね、第1回の委員会では議事を静かに見守り、最後に「よろしくお願いします」とおっしゃいました。その委員会のあと、「源氏物語千年紀展」の企画委員をさせていただきますと、私が挨拶した時にも、「よろしく頼みます」と丁寧に頭を下げてくださいました。後の巷の喧噪と裏腹に、紫式部と源氏物語への角田先生の静かで深い思いを感じた瞬間でした。それは2006年8月のことです。その後、マスメディアで源氏物語千年紀が取り上げられ、京都を中心に様々な催しが繰り広げられましたが、2008年5月、眠るように亡くなられたとうかがいました。『源氏物語と紫式部―研究の軌跡』が刊行され、「源氏物語千年紀展」が始まり、紫式部顕彰会の紫式部学術賞が決まり、源氏物語千年紀の大きなイベントが軌道に乗ったのを見届けてからご逝去なさったのだと、私は深く感動しました。研究者として間近に接することはほとんどなく、2000年に奈良女子大学で開催された中古文学会の最後の発表者として壇上で隣り合わせになった、という程度の面識しかありませんでした。
 その意味においても、私は京都とのご縁はきわめて薄かったと言えます。恩師の玉上琢彌・片桐洋一の両先生はじめ京都大学ご出身の学者とのおつきあいは深く、京大の学統を受け継いだ者と言ってもよいのですが、京都において研究・教育活動をする機会はあまりありませんでした。ところが、源氏物語千年紀という千年に一度の(つまり未来永劫ない)機会に、私は京都で存分に研究に関わる活動を行うことができたのです。順に示します。
2006年8月 『源氏物語と紫式部』編集委員会
2006年8月 「源氏物語千年紀展」企画委員会
2008年3月 京阪・文化フォーラム「源氏物語の風景と和歌」
2008年3月 京都チャンネル「源氏の物語とは何か」第1~3回収録
2008年3月 宇治市生涯学習センター講演「源氏物語の風景」
2008年4月 京都文化博物館「源氏物語千年紀展」開催
2008年4月 京都検定講座「源氏物語の風景」
2008年5月 京都文化博物館特別講座「源氏物語の風景」
2008年5月 京都チャンネル「葵祭完全生中継」解説
2008年5月 京都チャンネル「源氏の物語とは何か」第4・5回収録
2008年6月 京都文化博物館「
読む見る遊ぶ源氏物語の世界展」企画委員
2008年6月 龍谷大学国文学会講演「源氏物語の千年」
2008年7月 和歌文学会関西例会「源氏物語の和歌と引歌」
2008年8月 京都チャンネル「源氏の物語とは何か」第6・7回収録
2008年10月 京都文化博物館「読む見る遊ぶ源氏物語の世界展」開催
2008年10月 KBS京都「月イチ!京都府」源氏物語千年紀記念番組
2008年11月 京都チャンネル「源氏の物語とは何か」最終回放映
2008年12月 京都チャンネル「源氏の物語とは何か」再放送
2009年4月 京都アスニー連続講座「源氏物語」開始~現在に至る
記憶が曖昧ながら、京都だけでこれだけの活動がありました(他に東京・兵庫・大阪・滋賀などの活動もあります)。学術的な意味では縁の下の力持ちをしていたという自負はありますが、源氏物語千年紀委員会のメンバーのようにマスメディアで脚光を浴びることもありませんでした。昼夜を問わず最も大変だったのは、京都文化博物館の春と秋の源氏物語展でした(1)二つの源氏物語展)が、学芸員も企画委員も表に出ることなく、開会式のテープカットの影で拍手する側でした。図録をお読みいただいた方がはじめて私の執筆頁の多さに驚き、展示作品に版本を多数並べていたことから、私らしい仕事だと言われました。春の中古文学会は龍谷大学で行われましたが、「源氏物語千年紀展」の広報が不十分で、学会員は、土曜日に京都に着いてはじめて展示の盛大さを知り、多くの方が日曜日に発表を休んで京都文化博物館にお運びくださったそうです。秋山虔氏に図録と招待券をお渡ししようと、「先生、源氏物語千年紀展にいらっしゃいますか」とうかがうと、先生は「平安博物館(京都文化博物館のこと)には行きません」とお答えになられたので、「では図録は重いので後でお送りします」と渡しませんでした。ところが日曜日に博物館に行かれた他の先生の話によると、秋山先生が並んでチケットを買ってらっしゃったと。その上、図録までお買い求めくださり、後にお手紙で「あなたのお仕事だったと気付かず失礼しました。帰りの新幹線で図録を見て感動しています。ありがとうございました。」と、私が差し上げたわけでもないのに、わざわざ御礼状をくださったのでした。学会の前に委員会などでもっと宣伝しておくべきだったと悔やみましたが、後の祭りでした。
 もう一つは、京都チャンネルの番組「源氏の物語とは何か」の収録でした。とても忙しかったのですが、大々的に宣伝される千年紀委員会の様々な活動とは別世界の、楽しく充実した活動ができました。

 参考図書
  • 『源氏物語と紫式部―研究の軌跡』(角川学芸出版、2008年)
  • 『源氏物語千年紀展』図録(京都文化博物館、2008年)
  • 『読む見る遊ぶ 源氏物語世界』展示図録(京都文化博物館、2008年)
『源氏物語と紫式部―研究の軌跡』
 2008年の源氏物語千年紀の最初の事業として作られた研究書。千年紀発案者の角田先生と委員長の片桐先生の監修、10名の編集委員によって掲載論文と研究者が選ばれ、それぞれ50名の執筆者が評伝および論文紹介をしました。私は、編集委員と清水好子氏の評伝を担当しました。
4『清水好子論文集』刊行
2「源氏物語千年紀展」図録の目次
 総論「源氏物語の千年」、コラム
「源氏物語の巻名」「五十四帖屏風の中の源氏物語」「源氏物語の女性観―雨夜の品定め―」「源氏物語と和歌・引歌」「六条院の女君たち」版本の本文と挿絵」の6編、巻末付録には、若紫・紅葉賀・須磨・浮舟の名場面を複数の絵画作品を比較解説した「名場面鑑賞」8ページと、図版解説で引用した源氏物語中の歌80首とオリジナル口語訳を添えた「源氏物語の和歌(抄)」8ページ、そして、狩野氏信と伝土佐光吉の源氏物語屏風に描かれた54・60場面の解説を画像とともに掲載しました。屏風の場面解説は私のアイデアです。博物館・美術館で源氏物語図屏風がたびたび展示されますが、巻名があれば良い方で、何が描いてあるのかわからず不親切です。硝子ケース越しに観る小さな画面は華やかなだけで不満でした。そこで私は、屏風の一面ごとに分けた写真にそれぞれ解説を加えたパネル展示を提案しましたが、手狭な博物館では無理だということで、図録で再現しました。それが下のページです。
3「源氏物語図屏風」解説(「源氏物語千年紀展」図録)
〈展示の後日談〉
 秋の中古文学会の会期中、早稲田大学で源氏物語展がされていたのですが、その展示担当の先生が私のところに走って来られました。その解説は「読む見る遊ぶ源氏物語の世界展」から転載したもので、早稲田に寄託された九曜文庫の所蔵者で企画委員長でいらした中野幸一先生の承諾を得ようと挨拶したら、中野先生があれは清水さんの仕事だとおっしゃったので、あわてて私にお詫びに来られたのです。学芸員によると、展示図録の解説は転載されることが多く、実際は研究成果によるものでも、客観的データに見えるせいか、皆さん気軽に転用されるのです。あるとき大阪府立中央図書館に行くと、見慣れた版本が展示され解説が添えられていたのも「源氏物語千年紀展」からの転載でしたが、それは所蔵大学(母校)の教職員の仕事でした。
〈功労者に哀悼〉
 角田先生だけでなく、もうお一人、京都で源氏物語を広めてこられた中井和子氏がやはり源氏物語千年紀を見届けて亡くなられました。中井先生は『京ことば源氏物語』をお書きになり、「源氏物語千年紀展」図録にも、コラム「現代京ことば訳源氏物語」をご寄稿くださいました。そして長年、京都アスニーで源氏物語の連続講座をされていました。ところが2008年の年末に体調を崩されて講座をお休みなさり、そのまま亡くなられたそうです。そのあとを引き継いだのが、京都の大学の先生ではなく、奈良の大学に勤める私でした。以前は疎遠に感じられた京都でしたが、源氏物語千年紀記念の葵祭完全生中継の解説をしたり、京都府庁での知事との対談(2)1994年のテレビ出演)や二つの源氏物語展での仕事を通じて京都府・京都市とつながることができました。そして今、京都アスニーの源氏物語講座を続けています。おかげで京都にも少しずつ慣れ、バスに乗り間違うこともなくなり、方向音痴も少し改善されたように思います。京都アスニーでは、講座とは別に、「古典の日」制定を記念して創られた「京都市平安創世館」の季節毎の展示に対しても、物語を題材にしたコラムが依頼され、毎回楽しんで書かせていただいています。こうして、源氏物語が作られた京都に少しずつ恩返しができている状況です。