5関西で源氏物語
 源氏物語の研究がもっとも活発に行われているのはどこでしょうか。京都―ではなく、東京だと思います。東京には多数の大学と出版社がひしめきあい、出版不況の中でも源氏物語関係書なら売れるということもあり、源氏物語をあまり研究していない方々も「源氏物語」を冠した書物を出し、少しでも源氏物語に触れてあれば(ほとんど言及しない場合でも)「源氏物語の~」という書名で出版されています。そして、それなりに売れれば(あるいは売ろうとすると)急に源氏学者を名のり始める人までいます。「源氏物語千年紀」とされた2008年は、源氏物語を商売にする人やグループが多くて専門家はうんざりし、「にわか源氏」などと揶揄する人もいましたが、それもまた源氏物語の魅力なのだと好意的に捉え、玉石混淆もいずれ淘汰されていくだろうと楽観していました。私などは2006年8月から「源氏物語千年紀展」(9-1)二つの源氏物語展)の準備など、下積みの仕事を多く抱え、表に出る仕事に手を出す余裕はあまりなかったのですが、それでも講演依頼は多く、残念ながらお断りしたものもありました。多くの華やかな書物が刊行される中、著書としては、かろうじて、既に原稿が完成していた『光源氏と夕顔』を新典社新書の創刊第1号として出せたことと、絶版になっていた『源氏物語の風景と和歌』の増補版を出していただけたので満足していました。
 それよりも、「源氏物語千年紀展」が京都文化博物館としては異例とも言うべき入場者数を得て、後半に口コミで評判になっていったと漏れ聞いたこと、苦労して編集・執筆した展示図録の改訂版を出すことができて二度の増刷がされたほどの売れ行き(展示図録の増刷は少ないそうです)だったことが、何よりも嬉しい出来事でした。その展示も京都府主催でしたから、京都に大きな貢献をしたと密かに自負しながらも、京都や東京で活動される千年紀委員会とはまるで別の活動でしたし、千年紀展の図録を見なければ、私がほとんど活動していなかったように見えたかもしれません。しかも、私の勤務先のある奈良では、同じ時期に大阪で開催されていた「聖徳太子展」のポスターしか貼られていなかったのには驚きました。奈良と京都とは近鉄電車で30~40分、文化博物館の最寄り駅・烏丸御池は大和西大寺から直通にも関わらず、です。かろうじて近鉄主要駅の一部に千年紀展のチラシが置かれていただけで、そのチラシもすぐになくなってしまいました。奈良と京都の隔てを感じた瞬間で、源氏物語で(研究に限らず)活動するには京都でなくてはいけない、奈良ではどうしようもないのだろうかという違和感を覚えました。ただし、それは奈良だけの問題ではなかったのだと思います。源氏物語を地道に研究しておられる(京都を含む)関西の研究者の多くが、千年紀の騒ぎから少し離れたところにいたように見受けられました。春と秋の二度の源氏物語展を企画し、展示構成と図録の編集を存分にさせていただいた私は、むしろ恵まれていたと言えます。
 テレビ番組にしても、関西の研究者が出演する機会は少なく、まして欧米の国際学会に招聘される機会も少ないのです。中古文学会の関西支部、和歌文学会の関西部会に参加なさる方はよくご存じでしょうが、学問レベルはきわめて高いのです。マスコミや国際化、あるいは文科省などの存在を意識する必要がないからなのか、純粋に研究に打ち込んでいらっしゃる学者が多いように思います。もちろん私も真面目に研究していますが、私は依頼されればテレビにも出ます。世の中の人々が源氏物語に対して抱いているイメージを少しでも良いものにしたい、本物の源氏物語を伝えたいと願っているので、できるだけお断りしないようにしています。関西の研究者の中では比較的目立つ方ですが、それでも首都圏の学者さん方に比べれば、まだまだ無名と言えます(顔を知られていない方が生活するのには楽です)。今回ホームページを開設しようと思い立ったのも、少し元気のなくなっている(元気な先生方が高齢化して)関西の国文学界と、京都に比べて落ち込んでいる奈良や滋賀(両方に自宅があります)を活性化したいとの思いもあるからです。観光客が多く来て宿泊してくれれば経済は活性化しますが、文化の活性化とは必ずしも一致しません。奈良でも、2010年の平城遷都1300年祭をきっかけに天平祭などをしていますが、伝統的な歴史文化と深く関わることなく、今はまだ仮装行列のようなイベントです。春日若宮おん祭は伝統を継承していますが、葵祭や祇園祭ほどに文化と観光(つまり経済)との関わりをうまく作り得ているとは言いがたいのです。そんな奈良ですが、だからこそ、まだまだ知られざる魅力があります。奈良には、大仏や法隆寺や正倉院などすばらしい文化遺産がありますが、それだけではありません。源氏物語にとっても奈良は「ふるさと」なのです。

参考図書
   ・『源氏物語千年紀展』図録(京都文化博物館、2008年)

   ・『光源氏と夕顔―身分違いの恋―』(新典社新書1、2008年)
     ・『源氏物語の風景と和歌 増補版』(和泉書院、2008年 初版は1997年

1「源氏物語千年紀展」図録
2008年4月~6月、京都文化博物館で開催された特別展。外部の企画委員は、片桐洋一・藤本孝一・四辻秀紀・名児耶明・清水婦久子。野口剛ほか京都文化博物館の学芸員とともに、清水が図録の編集、解説やコラムなどの執筆を担当しました。
 
 2.『光源氏と夕顔―身分違いの恋―』(新典社新書1)
国文出版社の新典社が新書を始めるというので原稿依頼がありました。既に書いていた原稿を創刊第一号として、2008年の源氏物語千年紀に間に合うように出していただけるならと原稿を渡しました。このサイトのアドレスは、この後日報告といった意味もあります。
 〈補足〉
『源氏物語の風景と和歌』の初版は1998年に、第五回関根賞をいただきました。この賞についてはいずれ詳しくご報告します。『源氏物語の風景と和歌 増補版』は、以後の論を追加したものです。他大学の学部生から、新書判に触発されて卒業論文の課題に決めましたという報告や相談を受けることがあり、うれしく思いますが、本格的に研究する場合には、ぜひ『源氏物語の風景と和歌 増補版』を参照してくださいね。