3野々口立圃『十帖源氏』 
 「源氏物語千年紀展」の図版解説(拙稿)では、次のように書きました。
107十帖源氏
 俳諧師で雛人形師の野々口立圃(親重)による源氏物語梗概書。約六分の一のダイジェスト版で、一三一図の挿絵を添えた。初版は無跋無刊記本で、立圃の自筆奥書が加えられ出版された。万治四年(一六六一)荒木利兵衛版は再版、万治四年立圃署名(入木)本はさらに後刷り。成立は、立圃還暦の承応三年(一六五四)。物語中の和歌をすべて掲載し、無跋無刊記本『源氏物語』(図版100)の本文から必要な箇所を抜き出して編集したものである。(S)
 書名の通り本来は十冊揃いの版本ですが、文化博物館に展示したのは大阪府立大学学術情報センター蔵の九冊本です。もとは母校の大阪女子大学に所蔵されていた本で、私が影印本『首書源氏物語』巻末付録や『源氏物語版本の研究』において調査済みであったことから展示対象に選びました。101『万水一露』、104『首書源氏物語』、105『湖月抄』、111『源氏鬢鏡』、112『源氏大和絵鑑』、117『源氏雲隠抄』も同様の事情で、あらためて状態を確認する必要がないための選択に過ぎません。
 左の写真1は、帝塚山大学所蔵の完本十冊揃いです。写真2は架蔵の合冊本で、こちらは千年紀展などで展示できる状態ではないので府大本を展示しましたが、その後、帝塚山大学大学院の予算で1を購入しました。
 この本を大学で購入したのには理由があります。海外に源氏物語の翻訳を促すプロジェクトhttp://genjiito.orgの一環である『十帖源氏』を翻刻し口語訳する活動に参加しているからです。私個人では、1980年以来「絵入源氏」や『十帖源氏』を研究し、2003年の『源氏物語版本の研究』完成後、『十帖源氏』とその簡略本『おさな源氏』の本文について、2編の論文を本学の雑誌「青須我波良」と岩波の「文学」に発表しました。挿絵ばかり注目される『十帖源氏』『おさな源氏』ですが、本文もよく工夫されており、その底本が最初の整版本である無跋無刊記本(左図3)と判明したので、本文の活字翻刻を紹介して比較し、『十帖源氏』『おさな源氏』ともに歌物語的・歌集的要素の強い「歌書」だと論じました。展示解説は、この研究を基にした独自の記述です。
 そんな『十帖源氏』を広めようと、3年前、ゼミナールの学生に翻刻を呼びかけ、学生たちも是非やりたいと申し出てくれました。ところが同じ頃、国文学研究資料館の伊藤鉄也氏が『十帖源氏』の翻刻と口語訳を公開して海外に翻訳を呼びかけていらっしゃったのですhttp://genjiito.blog.eonet.jp/。そこで伊藤さんと相談し、私のゼミでは続編の十三巻(匂兵部卿巻~宇治十帖)を担当することになりました。本学日本文化学科では歴史の勉強もしますので、広い視野で学べる一方、かつての国文学科のように写本や版本を解読する授業がほとんどなく、学生は解読に苦労していますが、相談しながら頑張っています。そんな学生のために、ボロボロの架蔵本では申し訳ないので、十巻揃いの『十帖源氏』を大学で入手した次第です。もちろん普段は吉田氏の古典文庫や中野幸一氏の九曜文庫の影印本で読んでいますが、判読しにくい箇所を確認したり、私が担当する「図書館資料特論」の授業の原本資料として活用したりしています。
 先に触れましたが、野々口立圃は後に『十帖源氏』をさらに半分に簡略化した『おさな源氏』を作ります。これも千年紀展に出品しましたが、こちらは京都大学所蔵本が初版なので、それを展示しました。これも、もとは五冊揃いです。以下がその解説です
108 おさな源氏
 寛文元年(一六六一)、立圃が『十帖源氏』を五巻に簡略化したが、和歌はすべて掲載する。万治四年成立と推定され、立圃自筆の上方版を基に江戸版が作られる。上方版は、寛文元年(一六六一)立圃自署本、寛文十年(一六七〇)山本義兵衛版、八尾勘兵衛版、天明八年(一七八八)版『源氏物語大概抄』。江戸版は、寛文十二年(一六七二)以後の「松会版」で、無名時代の菱川師宣が挿絵を描き、広く普及した。これは山本義兵衛版。(S)

 参考文献
 ・『源氏物語版本の研究』(和泉書院、2003年)
 ・「『十帖源氏』『おさな源氏』と無刊記本『源氏物語』」(「青須我波良」58、2003年)
 
・「『十帖源氏』『おさな源氏』の本文―「歌書」としての版本―」(岩波書店「文学」隔月刊第4巻第4号、2003年)
 ・『源氏物語千年紀展』(京都文化博物館、2008年)
 ・『読む 見る 遊ぶ 源氏物語の世界』(京都文化博物館、2008年)
 ・影印叢書『首書源氏物語』(和泉書院、1980~94年)巻末付録「江戸時代の『源氏物語』の挿絵」
 ・吉田幸一『絵入本源氏物語考』(青裳堂書店、1987年) 
1野々口立圃『十帖源氏』(帝塚山大学蔵)
 本サイトでも挿絵を紹介してきた『十帖源氏』の原本。「源氏物語千年紀展」では、私が調査した大阪府立大学所蔵本(もと大阪女子大学本)を展示しました。これは、その後、帝塚山大学大学院人文学研究科で購入したものです。桐壺巻の冒頭に紫式部が石山寺で湖月を見て須磨明石の巻から書き始めたとする伝説を基にした絵が入ります。
2『十帖源氏』(架蔵本)
 私費で購入した合冊本で、表紙もボロボロで公には出せませんが、書き入れなどはなく、影印本で読むよりもはるかに様々な発見があります。右図は巻末の万治四年の立圃の跋文が刻されている再版。1の本にも同じ跋文があります。
3無跋無刊記整版本『源氏物語』夕顔巻頭
 版本『万水一露』の本文部分と『十帖源氏』に共通する底本で、源氏物語の版本の中で最初に作られた整版本。粗末な装幀ながら由緒正しい本文を有しています。「絵入源氏」や『湖月抄』と異なり、読点・濁点・振り仮名・傍注もない
ので「素源氏」などと呼ばれています。架蔵本では桐壺から若紫の5巻に読点・濁点・傍注が書き込まれています。
〈補足〉
 大阪女子大学の国文学科は充実しており源氏物語関係書も数多く所蔵されていました。片桐洋一先生は、多数の版本を影印本『首書源氏物語』巻末付録で紹介する企画を立て、私に挿絵の解説を担当させてくださいました(7偉大な恩師)。当時は版本研究がほとんどなく、手探りで書誌解説を書き挿絵を比較しました。「古典文庫」の主宰者で蔵書家の吉田幸一氏が『絵入本源氏物語考』を出されたのはそれから7年後で、吉田氏のご研究によって『十帖源氏』『おさな源氏』の解説を書き換えましたが、逆に「絵入源氏」の成立と出版については吉田説の誤りを指摘しました(2「絵入源氏物語」)。すると、吉田氏から「誤りを正していただき、山本春正も草葉の陰で喜んでいることでしょう」という有り難いお手紙をいただきました。
 書誌や展示解説は客観的データではなく調査研究の結果です(資料紹介)。しかし私の版本研究や展示図録を単なる客観データのように無断で引用する研究者がいるのは残念です。「絵入源氏」の成立や異版との関係も、無跋無刊記本源氏物語を最初の整版本と認定したのも、それが『十帖源氏』の底本だというのも、版本研究の成果に他なりません。
 Wikipediaでは無跋無刊記整版本について、大阪府立大学蔵本があると記載されていますが間違いです。Wikiの参考文献に拙著『源氏物語版本の研究』が記載されていますが、私が調査した無跋無刊記本は、大阪府立中之島図書館所蔵の2本と天理図書館の本、そして千年紀展で展示した架蔵本です。Wikipediaの記載者は府大図書館と府立図書館を混同したのでしょうが、文献の引用は正確にしていただきたいものです