4)「源氏物語の千年」
〈源氏物語が作られた時代〉

 紫式部日記の記事から、藤原公任や宮中の女房たちも源氏物語を読んだと説明されます。けれども、千年前に源氏物語の冊子が出回っていたと考えるのは、ベストセラーを簡単に入手できる現代人の錯覚。中宮彰子が宮中に戻る際に物語の冊子作りをした記事から、一条天皇に豪華清書本を献上したと説明されますが、これも錯覚です。彰子は新作の物語を天皇とともに楽しもうと準備していたのです。天皇は珍しい物語を求めて彰子の御殿にお通いになります。物語を天皇と彰子が同時に仲良く楽しむためにはどうするでしょうか。日記に「うちの上の、源氏の物語、人に読ませつつ聞こしめしけるに」とある通り、天皇と彰子のために女房が読み上げるのです。源氏物語は口コミで評判になったでしょう。
 12歳で入内した彰子には何年も御子が生まれませんでした。亡き中宮定子を深く愛しておられた一条天皇にお通いいただくために用意されたのが新作の物語でしょう。既に知っていて続きを知りたいと思わせる長編的な物語が効果的です。物語の一巻が終われば、また次の一巻と、紫式部は、道長の娘たちと天皇のために次々と物語を書き継いだのです。物語がつきない間は、天皇は毎日お通いになり、后は皇子を産みました。源氏物語はこうして短編を重ね、最終的に五十四巻もの長編になったと考えるとよいでしょう。
〈源氏物語が古典になった時代〉
 源氏物語が黙読されるのは、当初の目的を果たし、本が一般に出回った後のこと。受領層の娘・菅原孝標女は幸運にも入手した写本を「后の位も何にかはせむ」と読みふけったと『更級日記』に記しました。それはちょうど道長の娘、彰子・妍子・威子が、それぞれ大皇太后・皇太后・中宮と三后が並び立った時期でした。孝標女が一人読んだのは、聞かせるべき侍女もいないからですが、源氏物語がもとは后のために作られたことを意識しての発言と考えるべきでしょう。
 残念ながら平安時代の本は残されていません。12世紀末、藤原俊成が「源氏見ざる歌詠みは遺恨の事なり」と述べ、和歌を重んじる人々の古典(規範)になり、源氏物語の本が確立しました。現在読まれているのは、俊成の子・定家が校訂した青表紙本の写本を活字化した本です。
 初期の注釈書は本歌を簡単に示すだけでしたが、15世紀の注釈書『河海抄』や『花鳥余情』には史実との関わりが細かく示されています。下剋上の時代、貴族社会と文化を学ぶ「有職故実」において、源氏物語は人の上に立つ者の学ぶべき古典とされたのです。
〈源氏物語が描かれた時代〉
 古来、源氏物語を題材とした絵が数多く描かれてきました。最古の作品が12世紀に作られた国宝『源氏物語絵巻』です。源氏物語を題材とする美術作品が多く作られた背景にも、和歌を尊重する文化がありました。私が企画に関わった『源氏物語千年紀展』で出展された源氏絵の大半が歌を詠む場面であり、絵に描かれた草花や小物が歌の題材です。詞書を伴った画帖や絵巻にも、詞書に歌を含むものが多く、絵には歌の題材が微細に描かれています。
 源氏物語には登場人物の心情の奥行きを表す風景が描かれ、その場面では必ず歌が詠まれます。季節の花や物を添えて歌を贈るという作法が繰り返されています。豪華な花束ではなく、庭の草花、草庵の山の筍や蕨など、それぞれ贈る側の身近にあるものを添え、その素材を歌に詠み込んで贈りました。源氏絵が描いたのは、そうした歌の場面がもっとも多いのです。
〈源氏物語が普及した時代
 源氏物語が一般の人々に普及したのは出版によります。古活字版が作られ、その後、一枚板に文字を彫って作った整版本が作られました。最初に市販されたのは、慶安三年(1650)に出版された「絵入源氏物語」でした。この本で初めて挿絵(全226図)が添えられ、本文には読点・濁点・振り仮名・傍注がつけられ、独力で物語を鑑賞することが可能となりました。この後、ダイジェスト版の『十帖源氏』『おさな源氏』などが出版され、近世の庶民はこれら絵入り版本で源氏物語に親しんだのです。2「絵入源氏物語」
 その後、頭注付きテキスト『首書源氏物語』と『湖月抄』が出ましたが、この二書は「絵入源氏物語」を基にしています。そして本居宣長は『湖月抄』で源氏物語を学び、『玉の小櫛』を著しました。19世紀初め、柳亭種彦は源氏物語を足利時代に舞台を移して翻案化して『偐紫田舎源氏』を出しました。その痛快な文章と、三代目歌川豊国による歌舞伎風の彩色画により、1万部ものベストセラーになり、数多くの浮世絵が生まれました。
 現代において、若者の圧倒的な支持を集めたのが、大和和紀の漫画『あさきゆめみし』です。漫画ファンのみならず、初めて漫画を読む層にまで、源氏物語の魅力をビジュアルによって浸透させた功績は絶大です。千年の間、人々は源氏物語を巻ごと場面ごとに親しみ、絵とともに伝えてきました。名作を見て人は何に感動するのか。名場面です。風景と和歌に注目して名場面をじっくりと鑑賞することによって、源氏物語の本当の魅力がわかります。

 参考図書
  • 清水婦久子「源氏物語の千年」(京都文化博物館『源氏物語千年紀展』、2008年)
  • 清水婦久子「源氏物語の千年」(京都市生涯学習センター「まなびすと」2009年1月)
  • 清水婦久子『源氏物語の真相』(角川選書、2010年)
  • 清水婦久子『源氏物語の巻名と和歌 物語生成論へ』(和泉書院、2014年)
1『源氏物語の真相』
表紙に掲載した彩色画は、徳川美術館所蔵の国宝『源氏物語絵巻』東屋一を木版画にしたものです。帯は刊行時に付けられたもので、この本で書いた新説を基にしたものです。
源氏物語は藤原道長のために書かれた?
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2木版本源氏物語絵巻 東屋一
この絵は、宇治の中の君が異母妹の浮舟を慰めるため「絵など取り出だして右近に詞読ませて」い.る場面。髪の手入れをさせる中の君、その右で右近という女房が物語の「詞」を音読しています。奥で冊子や巻物の絵に見入るのが浮舟、几帳の右には物語に聞き耳を立てる女房達。一冊しかない貴重な物語は、このように音読され、主人を中心に複数の人々が一度に楽しんだのです。玉上琢彌先生の「物語音読論」はこの場面からヒントを得たそうです。これは古物語ですが、紫式部日記の「源氏の物語、人に読ませつつ聞こしめし」は、天皇と后とがともに源氏物語を楽しんだことを示します。彰子は天皇とともに鑑賞するために源氏物語を宮中に持ち込んだのです。この考えを最初に公表したのは「源氏物語千年紀展」の総論です。右の文はそれを簡略化して、京都アスニーの広報誌「まなびすと」に寄稿したもので、後に角川選書『源氏物語の真相』で詳述しました。帯の広告文「藤原道長のために書かれた」は編集部の提案で、私はせめて「?」を入れてほしいと依頼しました。翌年映画を計画していた角川は道長を前面に出したかったのでしょうが、私は、「彰子のために」「彰子の幸せを願って」作者は物語を書いたのだと考えています。
  4『偽紫田舎源氏』 
 小型の合巻で、絵の周りにびっしり小さな本文。作者の柳亭種彦が下絵を描いて指示し、三代目歌川豊国が挿絵を描きました。痛快な時代劇を、当時人気の高かった歌舞伎仕立てにした漫画の元祖とも言うべき作品で、大ベストセラーとなりましたが、天保の改革により発禁処分され、種彦は逮捕されました。
5「源氏物語千年紀展」目次 1)二つの源氏物語展
 冒頭に瀬戸内寂聴さんの巻頭言、片桐委員長と私の総論、右下は、企画委員が分担執筆した25編のコラムの一覧で、うち6編を執筆しました。左頁には、源氏物語の理解のため巻末付録とした拙稿「名場面鑑賞」8ページ(若紫・紅葉賀・須磨・浮舟の名場面を複数の絵画作品を比較解説)と「源氏物語の和歌(抄)」8ページ(図版解説で引用した源氏物語中の歌80首とオリジナル口語訳)の目次。