8琵琶湖の月
 滋賀県大津市は琵琶湖の南側を占めていますが、そのうち大津港や県庁のある中心街は琵琶湖の南、瀬田は大津市東岸、私の自宅は湖西で比叡山の麓にあります(出身地について)。JRは山科駅から琵琶湖線と湖西線に分かれ、同じ大津市でも交通も眺めも異なります。湖西では、琵琶湖側から上る月が見え、その月は比叡山の陰に隠れます。もちろん朝日も琵琶湖から出て、比叡山に夕日が落ちます。
 「湖月」という言葉は、琵琶湖に映る月という理解が一般的ですが、湖面に月が映る光景は、月が出た直後のわずかな時間帯だけであり、よほど湖岸に近づかなければ観られません。紫式部が石山寺に籠もって観たのは、湖面に浮かぶ月ではなく、湖の上空に出る澄み切った月だったと考えています。石山寺から湖面は見えませんから、石山伝説が嘘だという学者が多いのですが、琵琶湖の月は湖面に映る月だけが美しいのではありません。琵琶湖には空気清浄機の役割があり、湖の上空は空気が澄み空には雲がないのです。戦時中にB29が京都に向かうとき、琵琶湖上空を選んで飛んだと聞きました。そこには飛行の邪魔になる雲がなかったそうです。確かに琵琶湖の空は青々として、まるで海辺の空のようです。大阪・奈良から移住した私には、空の青さに驚きました。そして夜になって出る月の美しさと大きさに感動しました。満月が三日以上あるのです。とても大きくて透き通っています。
 「ああ、紫式部はこの月を観て須磨・明石の情景を思い浮かべて書き始めたんだ」と思い至りました。私が幼少期に住んだ神戸は須磨区で、須磨の海岸に遊びに行きました。伊丹に転居した後も、海水浴は須磨や明石、後には淡路島に船で出かけました。百人一首のカルタ取りで最初に覚えた歌は、源兼昌の「淡路島通う千鳥の鳴く声に幾夜寝覚めぬ須磨の関守」でした。明石から船で淡路島までとても遠く感じられ、この距離を夜に千鳥が通うのかと、その寂しげな鳴き声が聞こえてくるようで、夜の闇と須磨の関守のわびしさが小学生の胸にしみる一首でした。源氏物語を研究するようになり、その歌が源氏物語の世界を基にした歌であり、藤原定家が高く評価したことを知って驚きました。偶然ではなく、その歌の情景が胸にしみた少女だったからこそ源氏物語に惹かれたのだと思います。
 源氏物語の須磨・明石の二巻で描かれた月は、海面に浮かぶ月ではなく、海の上空の澄み切った月です。石山伝説のすべてが事実かどうかわかりませんが、湖月から「こよひは十五夜なりけり」という須磨巻の文と源氏の心情を思い浮かべたのは、紫式部もまた石山寺の上空の月を観たからだと考えてよいのです。月を観て「こよひは十五夜なりけり」と暦と宮中の宴を思い出すためには、湖面に映る月では説得力に欠けます。もちろん上空に出た月影が水面・湖面を明るく照らすことはあり、それも美しい光景に違いありませんが、源氏物語の須磨・明石の月がそのように描かれていないのですから、湖面の月から想起し構想したとの解釈は的確とは言えません。京都チャンネル「源氏の物語とは何か」第1回放送(2008年)において、石山寺のロケでこの話をしましたら、ご住職と副住職にとても喜ばれました。石山寺だからお世辞を言ったわけではなく、私自身が琵琶湖の近くに住んでいたことと須磨明石の風景を覚えていたから自然に出た話なのです。琵琶湖上空の月は、平安京の月よりも須磨・明石の「くまなき月」によく似ているのです。

 参考図書
  ・『源氏物語の真相』(角川学芸出版、2010年)第一部
1湖西の名勝 白鬚神社
 「どこでも源氏物語」トップページを飾った写真で、イナルコの寺田さんを案内した時のものです。 
2白鬚神社 紫式部歌碑
 万葉集には高市黒人がこの地の風景を詠んだとされる歌があり、紫式部が越前に向かうときに詠んだ三尾が崎はこの近くです。琵琶湖を望む境内の高台に紫式部の歌碑があります。 
3石山寺
 門前には琵琶湖南の瀬田川が流れています。境内右手の高台に月見台があります。9月1日から11月30日まで「源氏物語と女性たち」展、9月6日~8月に秋月祭が行われます。月の写真はパンフレットをご覧下さい。
4自宅の冬
  冬には雪が積もりますが、さほど寒くなく、気温は奈良・京都より高いのです。琵琶湖に近いので水蒸気が雪に変わるのでしょう。スタッドレスタイヤが欠かせず、雪スコップも必需品です。