1)初瀬の歌垣
 玉鬘と右近は再会を喜び、次の歌を交わしました。
 ・ふたもとの杉のたちどを尋ねずはふる川野辺に君をみましや(右近)

 
・初瀬川はやくのことは知らねども今日のあふ瀬に身さへ流れぬ(玉鬘)
これは、次の旋頭歌を基にしていました。
 ・初瀬川ふる川野辺にふたもとある杉
  年をへてまたもあひ見むふたもとある杉(古今集、雑体)
 旋頭歌は、男女が出会う歌垣(うたがき・古代の婚活)で求婚相手に呼びかけた片歌(五・七・七)の問答を原形としますが、この歌はその原形を伝えています。「長谷」と表記される初瀬は、大和川上流の初瀬川が合流する地で、人々(歌垣では男女)の再会を祈る場で、この歌が唄われました。少し下流には仏教伝来の地と伝わる場所があり、その辺りに椿市(海石榴市=つばいち)がありました。奈良春日から南下したところで、現在の近鉄桜井駅の北、山辺の道の南、三輪山を望む川沿いの地域です。その地でも古くから歌垣が行われていました。
 ・紫は灰指すものぞ海石榴市(つばいち)の八十(やそ)のちまたにあへる児や誰(たれ)(万葉集、巻十二)
 ・たらちねの母の召す名をまをさめどみちゆき人を誰と知りてか(同返し)
 男は女を紫と呼び、染料の色を引き出す灰に自らを喩えて女の名を問い、女は母がつけてくれた名を行きずりの人には答えませんと返します。男が女に名を問い、女が名のれば、二人は結ばれるのです。つまり、初瀬の地形でこそ、人は出会うことができたのです。
 さらにその再会は、光源氏と玉鬘、つまり男女の出会いにつながるものでした。このあと玉鬘は、光源氏の六条院に引き取られて、数々の貴公子の求婚を受ける「玉鬘十帖」の物語へと発展していくのです。

 古今和歌集の雑体(ざってい)の部には、三首の旋頭歌(せどうか)が次の順(1007~1009番)で配列されています。
    題知らず よみ人知らず
 ・うちわたすをちかた人にもの申すわれ
  そのそこに白く咲けるは何の花ぞも 
【夕顔巻の引歌】
   返し
 ・春されば野辺にまづ咲く見れどあかぬ花
  まひなしにただ名のるべき花の名なれや
   題知らず
 ・初瀬川ふる川野辺にふたもとある杉
  年をへてまたもあひ見むふたもとある杉
【玉鬘巻の引歌】
 最初の2首は、稲荷の初午詣での際に交わされたと推測される問答歌で、夕顔巻の引歌です(3)稲荷の歌垣)。古今集の旋頭歌はこの三首だけですから、源氏物語の作者は、「かづら」のつながりで夕顔・玉鬘の母娘の物語を作っただけでなく、出会いの歌を、古今集の旋頭歌から引用して作っていたことになります。

 参考書籍
  ・『源氏物語の巻名と和歌 物語生成論へ』(和泉書院、2014年)
1「絵入源氏物語」玉鬘

長谷寺に参詣しようと椿市の宿に着いた右近は、玉鬘一行と相部屋になり、再会します。絵の右上に、長谷寺の長い階段が描かれています。

「絵入源氏物語」玉鬘
玉鬘一行と右近は、長谷寺に参詣します。。右上には2本の杉の木、舞台の下には初瀬川、どちらも再会(出会い)の象徴です。
〈補足〉
 金春禅竹の謡曲『玉鬘』の歌詞を、ほんの一部ですが(繰り返しを省いて)紹介します。
ならの葉の 名に負ふ宮のふることを 思ひ続けて行く末は 石上寺伏し拝み 法(のり)のしるしや三輪の杉 山もと行けば程もなく 初瀬川にも着きにけり (中略)
かくて御堂に参りつつ 補陀洛山も目の当たり 四方の眺めも妙なるや 紅葉の色に常磐木の ふたもとの杉に着きにけり
これこそふたもとの杉にて候へよくよくご覧候へ さては二本の杉にて候ひけるぞや 二本の杉の立ちどを尋ねずは 古川野辺に君を見ましやとは なにと詠まれたる古歌にて候ふぞ
これは光源氏のいにしへ 玉鬘の内侍この初瀬寺に詣で給ひしを 右近とかや見奉りて詠みし歌なり ともにあはれと思しめしておん跡よく弔ひ給ひ候へ
げにやありし世をなほいふがほの露の身の消えにし跡はなかなかになに撫子の形見も憂し
(以下略)

※「ならの葉」に楢・奈良をかけています。
※「いふがほ」に言ふ・夕顔をかけています