2)狐と夕顔
   夕顔の物語は、唐代伝奇の「任氏伝」と今昔物語の「賀陽良藤の話」における「狐の変化(へんげ)の物語」の影響を強く受けています。源氏物語の古注釈書にも、闇の中を出入りする源氏の姿に「ものの変化めきて」とするところに三輪山伝説、「いづれか狐なるらむな」という源氏のせりふにおいて妖狐譚を挙げています。夕顔の白い衣は「任氏伝」の白狐と一致し、物語の表現内容も、狐に化けた女の説話と一致しています。
 それとは別に、夕顔から狐を連想したのは、それが瓜の花だったからと考えられます。狐が食物霊であり、その好物が瓜であったことを考えると、狐の変化かと疑われた女の仮住まいに、夕顔が植えられていたことも偶然ではなくなります。稲のみならず穀物や野菜全般の実りを祈る農耕信仰において、大きな瓜(ひさご・ふくべ)の成る夕顔は、豊穣を祈るミアレ神事にふさわしく、数々の植物の名が出てくる源氏物語の中でも特に土俗的な意味合いを有した植物と言えます。
 農民や庶民たちにとって、夕顔は特別なものではなかったでしょうが、上級貴族や皇子にとっては、瓜を食しても、その花を目にすることもなかったでしょう。染料の材料となる紫草や紅花ならともかく、瓜の花は、実が成る前の畑に行かなければ見られません。大鏡(道長伝上)には、瓜が北野や賀茂河原でも栽培されていたと記されていますが、いつも牛車で移動する貴公子が目にする機会は少なかったでしょう。五条の家の前で長く待たされたとき車から顔を出して初めて夕顔の花を目にしたのです。外に出れば稲荷山が間近に見える場所です。夕顔が隠れ住んでいた家も、稲荷を産土(うぶすな)神とし、食用のためだけでなく、稲荷の神に奉納したり、貴族に献上するための瓜を栽培していたのでしょう。五月五日には必ず早瓜を献上したという記録もあります。夕顔の宿の瓜が、食用にできる甘い瓜か、苦いがめでたい容器にもなる瓢箪なのかは不明ですが、白い花だからヘチマやキュウリではありません。源順の『和名類聚抄』には、白瓜・青瓜・黄瓜など様々な瓜の種類が記載されています。奈良でも、お盆のお供えの中心は白瓜であり、白瓜を酒粕に付けたものが奈良漬けになったのですから、瓜は神仏に供える代表的な作物であったことになります。
 しかも稲荷山では、春になると男女が出会う「歌垣」が行われていました。実は、夕顔の物語の発端となる「をちかた人にもの申す」という歌は、稲荷の歌垣における問答歌だった可能性が高いのです。その詳細は後日に。

  参考図書
  • 伏見稲荷大社「朱」1~57号(1966~2014年)
  • 新間一美「源氏物語夕顔の巻と妖狐譚―賀陽良藤の話をめぐって―」(「朱」56号、2013年)
  • 新間一美『源氏物語と白居易の文学』(和泉書院、2003年)
  • 五来重監修『稲荷信仰の研究』(山陽新聞社、1985年)
  • 山折哲雄編『稲荷信仰事典』(戎光祥出版、1999年)
  • 詳細は、拙稿「源氏物語の和歌と稲荷信仰―歌垣・神事と夕顔・玉鬘―」(「朱」57号、『源氏物語の巻名と和歌 物語生成論へ』所収)
  • 渡邊昭五「歌垣と稲荷詣の伝存習俗」(「朱」37号、1994年)
  • 加納重文「木幡山越え」(「朱」41号、1998年)
 
『十帖源氏』夕顔
 『源氏小鏡』と同じ、扇を受け取る場面です。光源氏は牛車の中にいて様子を見ています。背景を省略した簡素な挿絵が特徴です。
 
「絵入源氏物語」夕顔
 夕顔の宿に源氏は正体を隠し暗闇にまぎれて通います。女も正体を明かさないので、源氏は女に「いづれか狐なるらむな」(どちらが狐だろうな)と言います。
 
3『十帖源氏』夕顔

 2の場面の明け方、狭い長屋の隣家から物音や話し声が聞こえます。奥は仏に祈る人、手前は唐臼を踏む人、中央の男女が源氏と夕顔。庶民生活が物語表現の通りに描かれています。
〈補足〉
『十帖源氏』は、「絵入源氏物語」初版から4年後に出た野々口立圃のダイジェスト版です。書名の通り、五十四帖の本文を十帖に抄出し、挿絵を付けた絵入り版本です。ダイジェスト抄ですが要約ではなく、既刊の源氏物語版本の本文から丁寧に抜き出し、和歌はすべて掲載してあるので、歌物語の体裁となっています。
以後、「絵入源氏物語」や『源氏小鏡』とともに、この挿絵もご紹介しながら解説します。これらの版本については機会を改めてご説明しますが、気になる方は、「源氏物語千年紀展」図録や『源氏物語版本の研究』をご参照下さい。
 なお、この『十帖源氏』の本文を活字にして口語訳し世界各国に翻訳を呼びかけるプロジェクトが行われています。私も『十帖源氏』についての連携研究者として関わっています。サイト「海外源氏情報」http://genjiito.org/をご参照下さい。