3)若紫の系譜
  「若紫」は、延喜五~八年(905-8)の本院左大臣時平前栽合と延喜十三年(913)三月十三日の亭子院歌合に例があります。
  秋の野に色なき露はおきしかど若紫に花は染みけり(時平前栽合、紫苑)
  武蔵野に色やかよへる藤の花若紫に染めてみゆらむ(亭子院歌合)
いずれも、紫苑と藤が「若紫」色に花を染めたという、色の例です。そして亭子院歌合の歌で、藤の花が武蔵野の「紫」に色が「かよへる」としている点は、藤壺の「草のゆかり」として「紫の根にかよひける野辺の若草」とした源氏の独詠歌につながります。この前提には、古今集の「紫の一本ゆゑに」の発想がありますが、古今集歌のみを引用する注釈書では、源氏物語の歌の成り立ちは説明し得ません。源氏物語の背景には、このように数多くの歌や歌語りがあり、物語中の歌は、その文化の中で作られたものなのです。
 「春日野」の「若紫」の例は、伊勢物語だけではありません。延喜二十一年(921)三月の京極御息所歌合の二例があります。
  今年よりにほひ染むめり春日野の若紫に手でなふれそも(京極御息所歌合、藤原忠房)
  ちはやぶる神も知るらむ春日野の若紫にたれか手ふれむ(同、女房)
藤原時平の息女である「京極御息所」褒子が、宇多法皇とともに春日神社に参詣した時に、大和守藤原忠房が献上した歌に対して、伊勢を含む女房が返歌を二首ずつ詠んで歌合に仕立てたものです。忠房の「今年より」歌には「十宮の御車に入れたる」とあり、生まれたばかりの雅明親王を「若紫」に喩えています。これに返した右方の女房歌「ちはやぶる……」は、忠房歌の句の繰り返しに終わったのに対して、左方の歌「紫に手もこそふるれ春日野の野守よ人に若菜つますな」が「勝ち」と判定されました。
 この歌の表現は、褒子の父である時平主催の前栽歌合と、宇多法皇主催の亭子院歌合の「若紫」を受けたものです。亭子院歌合の「若紫」歌の作者は凡河内躬恒である可能性が高く、同じ歌合の「かけてのみ見つつぞしのぶ紫にいくしほ染めし藤の花そも」は躬恒の歌です。一方、忠房は、二十首のうち八首を躬恒に依頼しましたから、「若紫」は、同じ主催者と歌人、同じ文化圏における歌合で用いられた歌ことばであったことがわかります。
 これまで源氏物語の「若紫」の由来は伊勢物語とだけ説明されてきましたが、実は、こんなにも例があるのです。「春日野の若紫」も、伊勢物語だけではなく、藤原氏ゆかりの歌の例において、若紫を幼い親王の比喩に用いた点が注目されます。源氏物語には「若紫」の例がありませんが、紫式部日記の「このわたりに若紫やさぶらふ」という問いは、まさに「若紫」を人の比喩にした例です。その前提には、藤原氏ゆかりの春日野において藤原氏の血を受け継いだ皇子を「若紫」と称した忠房歌があったと考えるべきでしょう。これこそ、藤原彰子が産んだ皇子の五十日を言祝ぐ問いかけであったと考えると、「若紫」という言葉には、源氏物語と藤原氏との深いつながりが秘められていたことになります。

絵入り『栄花物語』(17世紀)
藤原道長没後、源氏物語の影響を受けて書かれた、藤原道長一族の栄華を中心として書かれた『栄花物語』の絵入り抜粋本。寛弘五年(1008)中宮彰子が一条天皇の御子を産み、藤原道長が赤子を抱く場面が描かれています。
 上の挿絵に描かれた皇子誕生の様子は、紫式部日記』にも記されています。そして、この赤ん坊・敦成親王(後の後一条天皇)の五十日のお祝いの日に、源氏物語の成立を知る出来事がありました。左衛門の督(藤原公任か)が紫式部に「このわたりに若紫やさぶらふ」と問いかけました。それに式部は返答せず、次のように書きます。「源氏にかかる(異本にる)人は見えたまはぬに、まいてかの上はいかでものしたまはむ」(源氏に関わりのある(源氏のような)人はここにいらっしゃらないのに、どうしてかの上(紫の上)はいらっしゃるでしょうか)。この記事によって、源氏物語の、少なくとも若紫の物語は作られて知られていたことがわかります。そして巻名「若紫」が既にあったこと、さらに「若紫」という語が色の名ではなく、人の呼び名として用いられていたこともわかります。 
〈補足〉
 伊勢物語や古今集と異なる物語設定は、源氏物語作者のオリジナルであるとする研究者がいます。似た設定、似た史実があって、模倣した物語や出来事から離れることで新しさを出したのだと言うのです。そして、伊勢物語離れとか歴史離れなどということばで説明されてきました。けれども、これは単一の出来事や物語、ここでは伊勢物語と源氏物語だけを比べて相違点を問題にしているだけであり、源氏物語の作られ方はそんなに単純なものではありません。伊勢物語にしても、業平が関わった原形の物語から業平説話らしく見せた別人の作まで、さまざまな段階の物語が混在しています。数多くの物語や和歌の背景には無数の物語や和歌や出来事があったことを、私達は意識しておく必要があります。私達が知り得る作品は氷山の一角です。少し学べば水面下の氷を見ることができますが、それもほんの一部に過ぎません。源氏物語は伊勢物語だけを意識して作られていたわけではありません。古今集は伊勢物語と源氏物語の源泉ですが、伊勢物語の中には万葉集や後撰集の歌、それ以後の新しい歌が含まれているように、源氏物語もまた、古今集や伊勢物語のみならず後撰集時代以降の歌や出来事を踏まえて作られています。伊勢物語との違いが出るのは当然であり、単純に作者のオリジナリティとか伊勢物語離れなどと言えるものではないのです。