1)伊勢物語との相違
 若紫巻は伊勢物語を基に作られていますが、違いも多くあります。紫の上を二条院に引き取った後、源氏は次の歌を詠みます。
  ねはみねどあはれとぞ思ふ武蔵野の露わけわぶる草のゆかりを
「ね」(根・寝)「見」「草」は、伊勢物語四十九段の歌、
  うら若みねよげに見ゆる若草をひとのむすばむことをしぞ思ふ
による表現で、「あはれとぞ」「武蔵野の」は、古今集の、
  紫の一本ゆゑに武蔵野の草は皆がらあはれとぞ見る(雑上、よみ人知らず)
の歌句に倣ったものです。源氏は、紫の上への手習いのヒントとして「武蔵野といへばかこたれぬ」と、紫の紙に書いて見せました。これは、
  知らねども武蔵野といへばかこたれぬよしやさこそは紫のゆゑ(古今六帖)
を引いたものですが、幼い紫の上は次の歌で切り返して、源氏を満足させます。
  かこつべきゆゑを知らねばおぼつかないかなる草のゆかりなるらむ
ここに伊勢物語と源氏物語との相違が見えます。伊勢物語第一段では「春日野の若紫」とありますが、源氏物語の若紫巻では春日野を舞台とせず、「春日野」ということばも一切出て来ません。源氏の歌の「手につみて」は、「春日野の若菜」の歌によく用いられますが、「若草」との組み合わせは珍しいのです。舞台は北山で、「紫」は古今集の「紫の」歌を踏まえて、「武蔵野」のものとされています。また、伊勢物語の第一段では「かいま見」とあるのに、若紫巻では「のぞきたまふ」です。つまり、伊勢物語第一段と若紫の物語とは、場面設定こそ似ていますが、表現上の一致は意外にも少ないのです。
 紫の上の歌「かこつべき」によく似た歌は、源氏物語の時代に近い藤原実方の歌集にまとまって見られます。
  かこつべき人もなきよに武蔵野の若紫をなににみすらむ(実方集)
  下にのみなげくを知らで紫の根ずりのころもむつまじきゆゑ(同返し)
  紫の色にいでける花を見て人はしのぶと露ぞつけける(同)
  白露のむすぶばかりに花を見てこはたがかこつ紫のゆゑ(同返し)
これらは、伊勢物語の歌と、紫の上の歌の本歌「知らねども」とを踏まえた贈答歌です。他に類句が見あたらないので、紫の上の歌は、実方集の歌を基にした可能性が高いのです。藤原実方は、陸奥守へ左遷され、赴任から四年後の長徳四年(998)、任地で亡くなりました。その原因として、『古事談』『十訓抄』には、藤原行成と殿上にて口論し、一条天皇が実方に「歌枕見て参れ」と命じたという逸話が伝わります。真偽の程はともかく、伊勢物語の男のように「東下り」をした実方説話は、その歌とともに語り伝えられたのでしょう。実方には他にも伊勢物語を基にした歌があり、若紫巻の複数の歌がそれを踏まえています。
 さて、源氏物語以前には次のような歌もあります。
  武蔵野は袖ひづばかりわけしかど若紫はたづねわびにき(後撰集、雑二、よみ人知らず)
  まだきから思ひこき色にそめむとや若紫の根をたづぬらむ(同、雑四、よみ人知らず)
  武蔵野の野中をわけてつみそめし若紫の色はかはりき(九条右大臣集)
若紫巻における源氏の二首のうち、「ねはみねど」歌の「わけわぶる」は、後撰集の「武蔵野は」歌の「わけ」「たづねわび」によるものです。「手につみて」歌の「紫の根」も、後撰集の「まだきから」歌の「若紫の根」を受けています。そして、これら三首には「若紫」の語があります。このうち、九条右大臣集の「武蔵野は」は、藤原道長の祖父・藤原師輔の詠歌で、源氏の歌「手につみて」と同じく「つみ」(草を摘む)という語があります。つまり、源氏物語の巻名「若紫」は、伊勢物語だけを基にして作られたわけでなく、伊勢物語の歌を発端として天暦年間に流行した「若紫」という歌語によって、作者が物語の題として名付けたものだったのです。さらに、「若紫」の語は他にも例があります。(2)紫のゆかりに続く)

1『十帖源氏』若紫
 「絵入源氏物語」とは別の角度から描いた「かいま見」の場面です。源氏と惟光が小さく描かれる代わりに、「にしおもて」に、持仏(小さな仏像)を置いた棚が見えます。女房たちが空を見上げているのは、逃げた雀を目で追う定型の図様ですが、空に雀が描かれた版もあります。
  2須原屋版『源氏小鏡』若紫
 尼君の病気見舞いに訪ねた源氏は、紫の上に惹かれ、「手につみていつしかも見む紫の根にかよひける野辺の若草」と詠みます。『源氏小鏡』は、巻名の由来を述べたあと、連歌の付け句になる言葉を示しますので、挿絵も、若紫に関わるこの歌の場面を選びました。
 
3「絵入源氏物語」若紫
 『源氏小鏡』は「絵入源氏」の挿絵の中から、巻名に関わりのある場面を1図選んで模倣しています。部屋の奥にいるのが幼い紫の上で小さく描かれていますが、『源氏小鏡』ではその意図が曖昧になります。「絵入源氏」ではふすま絵にも葦を描くといった工夫が見られますが、これは歌と関係があります。
 
3の挿絵場面で紫の君のかわいらしい声を聞いたので、翌日、源氏は「いはけなき鶴(たづ)のひと声こゑ聞きしより葦間になづむ舟ぞえならぬ」という歌を書いて送りました。上の挿絵のふすま絵は、この歌の「葦間になづむ舟」を表しています。「絵入源氏物語」の編者・山本春正は著名な蒔絵師でもありましたから、こうした草木を描くのが得意でした。巻名に関わる歌を詠んだのは、これよりさらに後のことです。「秋のゆふべは、まして、心のいとまなくおぼし乱るる人の御あたりに心をかけて、あながちなるゆかりも尋ねまほしき心もまさりたまふなるべし。」という文章のあと、「手に摘みていつしかも見む紫のねに通ひける野辺の若草」と源氏は詠みました。ここに「ゆかり」という言葉が出て来ます。 
4「絵入源氏物語」若紫
 二条院に引き取った紫の君に対して、源氏が歌と書を教える手習いの場面です。紫の紙にヒントを書き、あなたも書きなさいと促します。紫の君は可愛らしい手つきで歌を書きましたが、その筆跡は尼君に似て見所があると源氏は思います。こうして紫の君は理想の女君に育っていきました。