1夕顔と稲荷
 夕顔巻は、庶民的な光景から物語が始まります。光源氏は、粗末な家にはいまつわる蔓(つる)草と白い花に目を留め、「そこに咲くのは何の花?」と、男女の出会いの場〈歌垣〉で交わされた求婚問答歌の一節をつぶやきました。その花は「夕顔」であり、干瓢(カンピョウ)の材料となる大きな瓜の実の成る植物です。酒器になる瓢箪(ヒョウタン)もこの一種で、瓠・瓢(ひさご)は、神事の際の器や楽器になり、神楽歌に謡われ、瓜も、「山城の狛(こま)のわたりの瓜作り」と催馬楽に謡われました。狛すなわち大陸からの渡来氏族が栽培法を伝え、瓜は暑気あたりに効く食材として天皇家や貴族に献上されました。枕草子の「瓜にかきたるちごの顔」は、瓜に絵や文字を書いて飾る風習を示しています。貴族たちは、多様な瓜の実が次々と成る様を尊んで、「なるなる」ということばとともに、和歌に詠んでいます。
 高貴な身分の光源氏は、瓜の実は食しても、その花を見たことがなかったので、「をち方人にもの申す」と花の名を問いました。すると、小家の中から童女が出て来て、「これに花を置いて差し上げて。枝も風情がない花だから」と、白い扇を差し出しました。源氏がその扇を見ると、そこには「心あてにそれかとぞ見る白露の光そへたる夕顔の花〈心あてにその花だと思って見ています、あなた様の光がまぶしすぎて輝いて見える夕顔の花を〉」と、花の名を答えた歌が、消え入りそうな美しい筆蹟で書いてありました。この歌の解釈には諸説ありますが、拙著『光源氏と夕顔』に書いた説が正しいと考えています。その理由はいずれまた。著書や講義でも。
 『蜻蛉日記』の道綱母も、白い御幣に歌を書いて稲荷や賀茂の社に奉納していましたが、夕顔の宿の女が白い扇に歌を書いたのは、こうした習慣にならったのでしょう。「ゆふがほ」の「ゆふ」には幣の木綿(ゆふ)の意味も含まれ、白い花と扇は白木綿にも見立てられます。また、植物の枝を折って贈ることは、御生(みあ)れ神事にも通じます。そして瓜は食物ですから、食を祀る稲荷信仰と関わっています。
 さて、奈良の名物「奈良漬け」こそ、平安京の南、山城の狛の地(狛田という地名があります)で栽培された瓜を奈良で醸造された酒で漬けたものであり、神事の供え物でした。それが、光源氏の目にとまった夕顔だった、なんて、皆さん知ってましたか?
 奈良漬けに変身する瓜(ユウガオ)は、源氏物語においては、可憐な白い花の精として光る君に愛され、源氏とともに泊まった荒れた邸であっけなく亡くなります。しかし、その娘は、十六年後、「玉鬘(たまかづら)」(美しい蔓(つる)草)となって光源氏の前に現れ、丈夫な蔓草のごとく美しくたくましい人生を生きていきます。
 源氏物語の夕顔が奈良と少し関係がありそう、ということは、これで予想できたかと思いますが、娘の玉鬘はどうでしょうか。答えは後日のお楽しみ。

関連書籍
  • 『源氏物語の風景と和歌』(和泉書院、1997年、増補版2008年)
  • 『源氏物語の巻名と和歌―物語生成論へ―』(和泉書院、2014年)
  • 『源氏物語版本の研究』(和泉書院、2003年)
  • 『光源氏と夕顔―身分違いの恋―』(新典社新書、2008年)
  • 『源氏物語の真相』(角川選書、2010年)
  1)瓜と狐
  2)狐と夕顔
  3)稲荷の歌垣
  4)白い扇と神事
  5)名のらぬ女
2夕顔から玉鬘へ
  1)夕顔と朝顔
  2)六条の女君
  3)むすぼほる朝顔
3玉鬘と長谷寺
  1)初瀬の歌垣
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「絵入源氏物語」夕顔
「絵入源氏物語」夕顔

 光る君が「をちかた人にもの申す」とつぶやき、随身が振り返り、花の名を夕顔だと答える場面です。

 
  2夕顔の花と実(瓜)
 わが家の庭で作りました。実は直径20センチほど、花は大きな葉に隠れてしまう10センチほどの地味な花ですが、月明かりだけで美しく引き立ちます。
 
『源氏小鏡』夕顔
3『源氏小鏡』夕顔
 夕顔の宿から、童女が出て来て白い扇を渡す場面です。『源氏小鏡』は一巻に一枚ずつの挿絵で、夕顔巻の代表的な絵です。
 
4白い扇に夕顔の花と歌

 夕顔の花をイメージして作った造花です。実際はもっと枝(つる草)が頼りないのですが。この枝をとると、下から歌を書いた繊細な文字が現れます。それが「心あてに」の歌だったのです。

〈補足〉
夕顔の花は、キュウリやヘチマの黄色い花と同じ形の白い花ですが、江戸時代に渡来した妖艶な大輪の白花夕顔(ヨルガオ)とは異なります。夕顔の実は、カンピョウを栽培する農家では西瓜ほどの大きさに育てます。写真4の扇と造花は、2013年夏に東京国立博物館で開催された「和様の書」展の広報番組「トーハク女子高!夏期講習~カワイイのルーツは平安にあり?!」(NHK総合テレビ)で、私が清水ミチコさんとともに夕顔の場面を再現するときに使用したものです。その美しい文字は、夕顔の扇を再現すべく、同番組で共演した書家・日比野実氏にお願いして歌を書いていただいたものです。日比野先生、ありがとうございました。