1「読む 見る 遊ぶ 源氏物語の世界」展チラシ
 京都府主催の展示ですから、京都府の広報番組では、この展示の紹介を兼ねて、その企画委員として出演しました。一緒に図録や展示構成を考えた学芸員・市川彰さんも文化博物館でジェフを案内する役として出演しました。ジェフは「クイズ歴史紀行」で、ボロボロになったアーサーウェイリーの『Tale of Genji』を見せてアメリカでこれを読んだと紹介しました。2008年の収録の時にもそのことを話題にして、宇治十帖の女君が別の名で書かれていることなどを話しました。
2「絵入源氏物語」薄雲巻・新書『光源氏と夕顔』
 浮世絵に強い影響を与えたのが、『偐紫田舎源氏』です。江戸で『源氏』と言えばこの作品を示すほどでしたが、その基になったのが、実は「絵入源氏物語」なのです。府庁に「絵入源氏」の原本を持ち込んでお見せして、その本が京都の寺町で出版され市販されたことを話しましたら、山田京都府知事は大喜びでした。京都をヨイショするつもりはなかったのですが、「絵入源氏」が良い書(ダジャレ)なので仕方ないですね。
 「月イチ!京都府」の番組では、源氏物語の中で私が好きな場面を紹介するところで、薄雲巻で光源氏が藤壺の死を悲しむ場面と、夕顔が扇に歌を書いて贈る場面を紹介しました。
3宇治の平等院(2004年撮影)
 藤原頼通がここをお寺にしたのは、父・道長が糖尿病による幻覚(物の怪など)や腫れ物に苦しみながら亡くなったのを供養するためでした。栄華を極めた道長は、娘三人が三代の天皇の后になった(三后)とき、「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」と詠んだことで有名ですが、この歌の直後、望月が欠けるように道長は病を悪化させ出家します。ここはもともと河原左大臣源融の別荘であり、道長は風雅な暮らしにあこがれ、融の邸を入手しました。この宇治院は、宇治十帖の舞台となります。融が六条京極に造った河原院は、光源氏の六条院のモデルとされます。また、嵯峨野の清涼寺には、融の棲霞観があり、こちらは光源氏が出家した嵯峨の御堂や桂の院に対応します。「源氏の物語」の主人公と融との共通点は、三つの邸宅が賀茂川・桂川(大堰川)・宇治川に近い所に邸宅をかまえた点にあります。「クイズ歴史紀行」の解説でもその話しをしました。詳しくは後日に。 
〈クイズ歴史紀行の番組スタッフ〉
 ジェフとともに司会をお務めになったのはアナウンサーの高井真理子さんでした。彼女はコーセー化粧品社長の小林氏とのご結婚でご退職、2011年に若くしてなくなられたと後に知りました。聡明ですてきな方でした。ご冥福をお祈りします。
 番組の女性ディレクターは、後にNHK大阪から大津放送局に移られ、琵琶湖の丸子船について取材をしていますとお葉書をくださいました。丸子船なるものは初耳でしたが、2000年に湖西に移住した後に知りました。滋賀県教育委員会「丸子船」PDF
2)1994年のテレビ出演
 私にとって最初のテレビ出演は、20年以上前、NHK大阪放送局制作の「クイズ歴史紀行 源氏物語の面影」でした。熊野や京都室町など各地を巡って歴史に関するクイズを出し、視聴者が解答者、学者やタレントが解説者となって歴史を楽しく学ぶという45分番組です。NHKのディレクターの話によると、源氏物語のロケができる場所は意外にも洛内(京都市内)になく、宇治だけが源氏物語の面影を残している、ということでした。確かにその通りでしたが、多くの方は「まさか」と思われるでしょうね。室町時代をはじめ各時代の歴史の舞台をロケしてきた番組スタッフだからこそ、そのことに気づいたのでしょう。
 当時の宇治には、まだ源氏物語ミュージアムもなく、宇治上神社も門が閉じられていた時代でした。世界遺産に指定されてから急に観光客が訪ねるようになり、今は開門されていますが、当時はそこまで足を伸ばす観光客も少なかったのです。おかげで半日かけてゆっくりロケができました。そのときのゲスト解説者は、『源氏物語 花はむらさき』初版を出されたばかりの浜村淳さんと私でした。私はクイズの作成に関わっていましたので、当日は解答を先に口にしそうで緊張しました。浜村さんは、話し方はもちろん、場を盛り上げることがとても上手でした。私は生放送のような気分で厳密な解説をしようと張り切りすぎたかもしれません。前日まで番組作りのために適切な正しい答えの出るクイズを作ろうと昼夜を問わずスタッフとファックスで何度もやりとりしていたため、私はロケ当日には既に疲れきっていました。テレビ出演よりも、そのストレスが何より大きかったのですが、浜村さんと接して、つくづく私はテレビタレントには向いていないなと思いました。
 「クイズ歴史紀行」の司会は、京都の町屋に住むアメリカ人教授として2014年に朝日新聞でも連載されたジェフ・バークランドさんでした。1994年末に彼は「古都殺人まんだら」という推理小説を日本語で出版し、翌年1月に、桂三枝などが発起人で出版記念パーティが予定されていました。ところが1月17日に阪神淡路大震災があり、ジェフの勤務する大学の学舎も倒壊したため、パーティは中止されました。そのことから、私のテレビデビューが1994年の夏であったことは忘れられません。それからちょうど20年です。
 この番組は衛星第二放送の全国放送なので、標準語で話す必要があるかとディレクターに聞くと「浜村淳さんもジェフさんも関西弁だからそのままで」と言われ、以後、私はどこでも関西弁で話すようになってしまいました。大学院時代には、学会の全国大会では標準語っぽいアクセントで発表しましたが、今ではすっかり関西弁で通っています。関西の芸人が全国ネットで活躍する時代のせいもあるのでしょうね。
 それから長らくテレビと縁はありませんでしたが、2006年頃、帝塚山大学の教授陣が輪番で奈良テレビのニュース番組「ニュースONステージ」のミニコーナーに出演する企画があり、「老後を豊かに」というテーマで出ました。生放送で持ち時間はたった7分間ですから、言いたいことを端的にうまく伝えられるか、テレビの前で絵巻の複製や本を床に落とすような粗相をしないかと緊張しました。幸いその番組のメインキャスターもジェフで、彼の質問も予想できたので、短時間ながら源氏物語の魅力を伝えることができたと思います。そこでは、白梅と紅梅の花の盛りが二十日ほどずれていること、王朝の人々は硬いつぼみが次第にほころび開くまでのうつろいを愛でたことなどを、源氏物語の絵を示しながらお話ししました。
 ジェフとの縁はまだ続きます。2008年10月、京都府の広報番組「月イチ!京都府」の源氏物語千年紀特別番組において、京都文化博物館で開催中の「読む、見る、遊ぶ 源氏物語の世界」展の宣伝と源氏物語の魅力を伝える役割として出演しました。昭和天皇がお座りになったという椅子のある京都府庁の旧館で、ジェフの司会のもと、山田啓二京都府知事とともに源氏物語について語り合いました。ここでは、京都文化博物館での2度の展示とその図録の紹介に合わせ、拙著『光源氏と夕顔』の宣伝もさせていただきました。後ほど紹介しますが、源氏物語千年紀の企画に関して滋賀県の嘉田由紀子知事ともお話ししましたので、私は、京都と滋賀の二人の知事さんと源氏物語について語り合えたのでした。

参考文献
 ・浜村淳『源氏物語 新版 花はむらさき』(青心社、2008年 旧版は1993年)
 ・ジェフ・バークランド『古都殺人まんだら』(光文社、1994年)
 ・『源氏物語千年紀展』(京都文化博物館、2008年)
 ・『読む 見る 遊ぶ 源氏物語の世界』(京都文化博物館、2008年)
 ・清水婦久子『光る源氏と夕顔 ―身分違いの恋―』(新典社新書、2008年)